井川慶の全成績【NPB・メジャー・独立リーグ】真面目でケチ?

元阪神、ヤンキースで活躍した井川慶氏が、7月22日放送のフジテレビ系ニチファミ!「特捜!激撮!張り込みマネースコープ」(午後7時57分)の独占取材に応えました。

球界の表舞台から姿を消して、その消息を知る者も少なく、年収ゼロと言われる現在について、衝撃告白!

 

井川 慶(いがわ けい)

生年月日 1979年(昭和54年)7月13日
年齢 2018年7月22日現在、39歳
出身地 茨城県東茨城郡大洗町
高校 茨城県立水戸商業高等学校
身長 186 cm
体重 93 kg

選手情報

投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 ドラフト2位
プロ生活 阪神タイガース (1998 – 2006)
ニューヨーク・ヤンキース (2007 – 2008)
オリックス・バファローズ (2012 – 2015)
兵庫ブルーサンダーズ (2017)

少年時代は右投げ

井川慶選手が野球を始めたのは、大洗野球スポーツ少年団でのこと。

驚くべきことに、小学生までは右投げだったそうです。

右打ちを左打ちに変えるのはよくある話ですが、右投げを左投げに変えるというのはなかなかありません。

左利きの人は、両方の手を起用に使うことができる人が多く、字を書くのは右で投げるのは左とか、投げるのは左だけどテニスやるなら右とかよくありますよね。

人気野球漫画「メジャー」の茂野吾郎は右肩を壊して左投げに転向していますが、井川慶選手はサウスポーの方が有利だということで転向したのでしょうか。

 

体のバランスをとるために利き腕と逆で練習することは野球だけでなく、ゴルフなどでもよくやる練習です。

ダルビッシュ有は右投げですが、左でも見事なカーブを投げますね。

井川慶選手も、体のバランスをとるために右投げの練習はよくやっていたようです。

 

高校時代

水戸商業3年間で甲子園の出場はなかったものの、京都・平安高校の川口知哉(オリックス)

鳥取・鳥取城北高校の能見篤史(東京ガス~阪神)

と並んで「高校生左腕三羽烏」と呼ばれていました。

 

3年生春季県大会では、竜ヶ崎一高戦で、7回参考記録ながら18奪三振を奪って完全試合を達成しています。

商業高校の卒業生らしく、在学中に日商簿記2級を取得しています。

 

阪神時代

1997年のドラフト会議にて阪神タイガースに2位指名を受けてプロ入りを果たしました。

1998年

ルーキーイヤーは1軍登板なし。

 

1999年

5月2日、広島東洋カープ戦で、プロ入り2年目にしてプロ初登板。

5月19日、広島戦でプロ初先発し、初勝利をあげました。

1勝1敗

 

2000年

まだコントロールに難があり、1勝1敗に終わる

 

2001年

この年は年間を通してローテーション投手として活躍し、オールスターゲーム初出場。

この年の阪神は、4年連続最下位だったものの、防御率でリーグ2位となる2.67という好成績を残し、タイガースのエースとして期待を集めます。

9勝13敗

 

2002年

エースとしての期待を集め、初の開幕投手に指名されます。

初の二桁勝利となる14勝をあげ、206奪三振で初タイトルとなる最多奪三振を獲得しました。

14勝9敗1セーブ

ちなみに、この1セーブが井川慶投手にとって生涯唯一のセーブポイントです。(アメリカマイナーリーグで1度あり)

 

2003年

いよいよその才能が大きく開花!

12連勝を記録するなど絶好調で、初の20勝投手となり最多勝のタイトルを獲得しました。

同時に、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得するなど名実ともに阪神のエースとして、18年ぶりのリーグ優勝の原動力となりました。

20勝5敗

 

2004年

10月4日の広島戦で、プロ野球史上71人目となるノーヒットノーランを達成します。

2年連続で最高勝率、そして2度目の最多奪三振のタイトルを獲得するなど、活躍しました。

14勝11敗

この年のオフから、ポスティングシステムでのメジャー移籍を希望していました。

 

2005年

個人タイトルこそ無冠に終わったが、2年ぶりのリーグ優勝に貢献。

13勝9敗

 

2006年

5年連続となる2桁勝利を達成。

14勝9敗

5年間で75勝、平均15勝という立派な成績をあげた貢献により、阪神もメジャーへの移籍を容認します。

 

ついに3年越しの夢がかない、11月29日にニューヨーク・ヤンキースがポスティングによって獲得。

念願のメジャーリーガーとなりました。

ちなみに、ポスティングの金額は約30億円でした。

 

ヤンキース時代

2007年

4月7日、ボルチモア・オリオールズ戦でメジャー初登板。

4月18日、クリーブランド・インディアンス戦で、6回5安打5奪三振2失点でメジャー初勝利をあげました。

しかし、メジャーでの評価は想像以上に低く、結果も伴わず、登板のチャンスも多くは与えられませんでした。

シーズンの多くをマイナーリーグで過ごすことになります。

2勝3敗

 

2008年

マイナーリーグ中心の生活で、メジャーでの登板は2回で24イニング、先発はわずか1回で、ルーキーイヤー以来となる未勝利でシーズンを終えました。

0勝1敗

 

2009年~2011年

このころには、完全に戦力外との評価で、2009年はスプリングトレーニングはメジャー契約ではなく、招待選手として参加。

2011年までの3年間はマイナーリーグで過ごし、メジャーでの登板はありませんでした。

それでも、メジャーでの選手生活を続けることを望んだ井川慶投手は、アメリカでの永住権を取得するためにグリーンカードを申請し、2010年オフに取得しています。

この3シーズンで、日本球界復帰を獲得する球団もあったようですが、井川慶投手は、これを拒否。

しかし、ついに2011年オフにはアメリカでのプレーを断念し、日本球界復帰を決意。

結局、5シーズンのアメリカでの成績は

メジャー 2勝4敗

マイナー 36勝25敗1セーブ

 

オリックス時代

2012年

6シーズンぶりの日本チームは、オリックス・バファローズ。

期待された日本復帰ですが、その期待に応えたとはいえず、12試合に先発して、2勝7敗、防御率4.65の成績でした。

シーズン後には、左肘の遊離軟骨と骨棘の除去手術を受けました。

 

2013年

9試合に先発登板し、3勝3敗

 

2014年

8試合に先発登板し、2勝2敗

 

2015年

1年間1軍での登板機会がなく、2軍でも年間を通して未勝利。

2015年10月2日に球団から戦力外通告を受けました。

 

投手成績

所属 勝利 敗戦 防御率
阪神 86勝 60敗 3.15
ヤンキース 2勝 4敗 6.66
オリックス 7勝 12敗 3.78
通算 95勝 76敗 3.38

独立リーグ時代

2016年

NPBでのプレー継続を希望していた井川慶投手ですが、オファーはどのチームからもなく、独立リーグのBFLに加盟する兵庫ブルーサンダーズの練習に参加をしながら、NPBを目指すことを決意。

兵庫ブルーサンダーズ

プロ野球独立リーグ・関西独立リーグに2011年より参入。

2013年シーズン終了後に関西独立リーグを脱退し、2014年からは06BULLSとともに設立した「ベースボール・ファースト・リーグ」(BFL)に加盟しています。

リーグ年間優勝5回(2011、2014、2015、2016、2017)を誇る独立リーグの強豪。

 

結局、シーズン中もNPBからのオファーはなく、シーズン終了後の12月22日、ブルーサンダーズは、井川慶投手と練習生として契約することを発表。

 

2017年

シーズン開幕までNPBからのオファーを待ちますが、声をかける球団はありませんでした。

井川慶投手のオフィシャルブログによると

NPBは開幕を迎えますが、球団からのオファーは、まだありません。

ですが、自分は引退したという気持ちはないので、いつ声がかかってもいいように、投げられる準備をこれからも怠らないように続けていくだけです。

3月31日 NPB復帰が絶望的となり、兵庫ブルーサンダーズと選手契約を結びます。

 

独立リーグでは、さすがに格の違いを見せつけて、緩急をうまく使い、好成績を残します。

登板 14試合
勝敗 11勝0敗
勝率 100%
防御率 1.10

チームの4年連続優勝に貢献しました。

 

シーズン終了後の井川慶投手のブログ

「今後のことは、まだ何もわかりません。

プロ野球で投げられる機会があればいいのですが、自分としては、そのためにできることは、すべてやりきりました。

あとは待つしかありません。」

 

兵庫ブルーサンダーズは、11月30日付で井川慶が退団することを発表します。

 

井川慶投手退団のお知らせ

いつも兵庫ブルーサンダーズを応援していただき誠に有難うございます。

この度、井川慶投手が球団との契約満了に伴い、退団いたす事になりましたのでご報告させていただきます。

【井川慶投手のコメント】

今年兵庫ブルーサンダーズに入団して、若い選手たちと一緒に汗を流し、精一杯練習した結果、自分でも納得できる成果が残せた事は、大きな喜びでした。

年齢的な限界を意識しながら、それでも球団の優勝に貢献出来た事は、大きな自信につながりました。

今年一年球団代表、監督、コーチ、選手並びに関係者の皆様には本当にお世話になりました事を、心より感謝いたしております。

自分としてはこのまま引退という事は考えておらず、現役は続行するつもりで一旦休養に入りたいと思います。

結果11月30日付をもって兵庫ブルーサンダーズを退団いたしますが、これからも何らかの形で兵庫ブルーサンダーズに関わっていきたいと考えております。

これからも井川慶をよろしくお願いいたします。

真面目な井川慶投手

実は野球選手としても、社会人としても、井川慶投手はとても真面目だったと評判です。

入団6年目のオフに寮を退寮していますが、その実績と年齢からいえば異例の長い寮生活でした。

これは、快適で便利だからという理由からで、早く寮を出て遊びたいという気持ちはなかったようです。

しかも、寮生活でも模範生で、若手の講師役にも指名されていたということです。

 

プロ野球選手といえば中心選手ともなれば収入も増えて華やかな生活をしている選手が多いのですが、井川慶投手は倹約家でも有名でした。

先発投手は、野手とは調整方法が異なるために、登板予定のあるカードに先に単独で移動することもあります。

そんなとき、井川慶投手は、球団が用意した「新幹線・のぞみ」グリーン車のチケットを、「ひかり」の自由席に変更し、その差額を貯金していたそうです。

新大阪-東京の新幹線料金は

のぞみ・グリーン車 19,230円

ひかり・自由席 13,620円

その差額は、5,600円

庶民には大きな差ではありますが。。。

 

ちなみに、井川慶投手の年俸は、2003年には1億円

20勝で最多勝のタイトルを取って以降は、2億円を超えるています。

 

藪恵壹投手によると

「月に1万円しか使わないケチ」

まあ、倹約家ということで。。。

 

井川慶投手の妻

井川慶投手は、ヤンキースへの移籍直前の2007年2月。

一般人の女性との結婚を報告しています。

メジャーリーグ挑戦に先立ち、今オフに入籍をいたしました。

相手は一般の人ですので、周囲の方々のご迷惑にならないよう配慮した結果、スタッフとも相談し、渡米後に発表しようという結論に至りました。ご報告が遅れまして申し訳ありませんでした。

アメリカでは生活をともにし、2人でチャレンジしてゆこうと決意して、今回一緒に渡米しました。

タンパでも、食事面などをサポートしてくれていますので、心強く思っています。

これからは2人で頑張っていきます。今後とも末永く、ご指導ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます。


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