西川佳明の奥さんと子ども【PL・法政からプロ入りまでの歩み】新人王を争ったのはあの選手

プロ野球選手のその後の人生が話題になることは多くありますね。

ある程度の活躍をされた方は、その知名度を生かして飲食店などを経営される方が多いように思われますが、様々な第二の人生があります。

PL学園のエースとして甲子園を沸かせ、プロ入りした西川佳明投手の人生を調べてみました。

西川 佳明(にしかわ よしあき)

生年月日 1963年(昭和38年)7月14日
年齢 2018年6月現在、54歳
出身地 大阪府南河内郡太子町春日
高校 PL学園
大学 法政大学
身長 179 cm
体重 83 kg

 

生い立ち~甲子園優勝投手

西川佳明さんの少年時代はONが現役で活躍していた巨人V9時代。

野球は紛れもなく国民的な娯楽であり、男の子ならば誰もがプロ野球選手に憧れる時代でした。

 

西川佳明少年は、大阪・東住吉のリトルリーグ、シニアリーグで活躍。

中学卒業後に、PL学園へ進学します。

 

PL学園といえば野球部は廃部となりましたが、言うまでもない名門野球部。

普通の高校の部活動とは違って、PL学園の入試に合格して希望すれば入部できるわけではありません。

全国から選りすぐりの選手をスカウトして少数精鋭で鍛えあげるシステムなので、PLに入部するというだけで中学時代にとんでもない選手であったことの証明にもなります。

 

ちなみに、チームメイトには元巨人の吉村禎章選手。

後にプロでもチームメイトとなる元南海ホークス(福岡ダイエーホークス)の若井基安選手などがいました。

 

センバツ甲子園優勝投手

2年の秋にエースとして近畿大会に優勝し、3年春の第53回選抜高校野球大会で甲子園初出場を果たします。

大会前の評判は決して高いものではありませんでしたが、西川佳明選手の投打にわたる活躍で決勝戦に進出します。

迎えた決勝戦は、千葉県代表の印旛高校。

6回表に印旛高校が先制、その後もリードを守って9回裏PL学園の攻撃。

先頭打者が打ち取られて1アウト。

あと2人で印旛高校の初優勝となるこの場面から、「逆転のPL」のドラマが始まります。

 

東選手がレフト前ヒットで1塁。

続く代打の佐藤選手がフルカウントから起死回生の左中間への3塁打。

土壇場で同点に追いつくと、その勢いは止まらず。

続いて打席に立ったのが、西川佳明投手。

3ボールからの4球目をライト前ヒット!

サヨナラ勝ちで優勝を果たしました。

PL学園にとってもセンバツでは初優勝となります。

 

自らのサヨナラヒットで優勝を決めた西川佳明投手ですが、この大会でのピッチングは素晴らしく、

1回戦から決勝戦までの全5試合45回を一人で投げ抜いて、

被安打 19
三振 43
四死球 7

防御率は、驚異の0.20

つまり5試合で自責点は決勝戦で取られた1点だけだったのです。

ちなみに、この0.20という防御率は、金属バット後のセンバツ優勝投手で史上2位の大記録。

1位は、2年後の1983年

池田高校(徳島県)の水野雄仁投手。

水野投手は大会全試合を通じて自責点0で防御率0.00 あっぱれです。

 

この年の夏の甲子園大阪府予選では、5回戦で大阪商業大学堺に0-3で敗れるという大波乱で、ベスト8にも残れず夏の甲子園はついに出場することは出来ませんでした。

甲子園優勝投手ですので、もちろんプロ入りの噂もありましたが、吉村選手が巨人に3位指名されて入団するも、西川投手は技巧派でスピードが物足りないことなどからドラフトでは指名されず、大学進学となりました。

 

法政大学時代

甲子園優勝投手として大きな期待を受けて、PL学園から法政大学に進学した西川佳明投手。

1年秋季リーグ戦でデビューし、2年春から3年春まで16連勝という東京六大学野球の最多連勝記録を樹立します。

これは現在でも破られることなく残る大記録です。

4年間の在学中に3度のリーグ優勝、3年と4年の時には2年連続で大学日本一にも輝きます。

大学通算成績は

登板 54試合
勝敗 30勝5敗
完封勝利 7回
防御率 1.60
ベストナイン 3回

 

文句のない見事な成績を残し、野球が公開種目となった1984年のロスオリンピック大会に大学生にもかかわらず選出され、金メダルを獲得します。

まさに、栄光に包まれた大学時代でした。

 

プロ入り後

大学4年のドラフト会議で南海ホークスから1位指名を受けて、晴れてプロ入りを果たします。

球速は最速でも140kmに届かないものの、スライダーやナックルボールを武器に、緩急とコントロールで勝負する技巧派としての評価は高く、自らのピッチングを評して

「8くらいの力で投げた方が伸びのあるボールを投げることが出来ます。

腹八分目の投球ですね。

大事なのは緩急の変化ですね。

打者のタイミングを外すにはこれが一番。

コーナーワークより効きめがあります」

 

プロ1年目(1986年)

4月17日の対阪急戦に中継ぎに起用され、プロ初登板で初勝利。

5月5日近鉄戦では先発で初の完投勝利。

緩急を使った投球がさえわたり、前半だけで7勝をあげて、オールスターゲームにも選出されています。

オールスターゲームでは第2戦で先発登板し、最長となる3イニングを無失点で抑える好投。

その投球術がプロでも十分に通用することを改めて示しました。

ルーキーシーズンは、自身のプロ生活唯一となる2桁勝利。

10勝をマーク。

新人の10勝ですので、例年であれば新人王の有力候補に挙がるところです。

ところが、この年のパ・リーグの新人王は、PL学年の4年後輩となるあの西武ライオンズの清原和博選手。

これはどうにもなりませんね。。。

 

プロ2年目、さらなる活躍が期待された西川佳明投手ですが、背筋痛などの故障が続き、7勝(10敗)どまり。

ここから徐々に成績を落としていくことになってしまいます。

自らも

「球のキレがなくなってきた」

技巧派とはいえ、やはりキレのある球を投げられるからこそ緩急がいきるのであって、それがなくなれば緩いボールに的を絞られてしまいます。

 

ここから苦難の時代へとなっていくのですが、そんな中、輝きを見せたのが、3年目(1988年)の開幕試合。

西川佳明投手は、オープン戦でノーヒットノーランを達成するなど順調に調整が進み、開幕2戦目の先発投手としてスタンバイ。

しかし、開幕戦が雨天中止となって、開幕投手が西川佳明投手にまわってきたのです。

相手は黄金時代を迎えていた強打の西武ライオンズ。

ところが、この試合で西川佳明投手の緩急が冴えわたります。

なんと、7回終了までノーヒット。

しかし、味方打線も西武のエース工藤投手を打てずに、0-0の緊迫した投手戦が続いていました。

そして迎えた8回裏

 

清家政和にこの試合初ヒットとなる二塁打を打たれ、二死二塁で西武のチームリーダー・石毛宏典にフルカウントから右翼線にタイムリーヒットを打たれてしまいます。

1塁は空いていたので、フルカウントになったら無理せずに歩かせるという手もあったのではないかと思うのですが、結局、味方打線は工藤投手に完封されて、この1点が決勝点となります。

被安打わずか2。

「負けた気がしない」という開幕敗戦投手でした。

1988年4月9日 西武球場 観衆32,000人
南海 000 000 000
西武 000 000 01X

 

しかし、この開幕戦の快投があったものの、シーズン6勝に終わります。

シーズン終了後に、南海がダイエーに身売りを発表。

フランチャイズが大阪から福岡に移ることになりました。

 

新しい球団を立ち上げる福岡ダイエーホークスは、南海の生え抜き選手を徐々にトレードで放出して、南海色を弱めていきます。

西川佳明投手も、そんな激動の中、1990年オフに5対4の大型トレードで阪神に移籍。

しかし、移籍先の阪神タイガースでは在籍2年間で1勝も挙げることなく、1992年は1軍登板もないままにシーズン終了となり、戦力外通告を受けました。

7年間にわたるプロ選手生活にピリオドを打ち、引退したのです。

年度 勝敗 セーブ 防御率
1986 10-10 1 3.89
1987 7-10 0 5.59
1988 6-10 0 4.52
1989 1-6 0 6.86
1990 1-3 0 7.53
1991 0-0 0 4.5
1992 0-0 0 登板なし
通算 25-39 1 4.95

 

プロ野球引退後

引退後は、一時期はプロゴルファーを目指して、大阪でアシスタントプロをしていました。

引退時でまだ29歳。

体力も十分にあるし、ジャンボ尾崎のようにプロゴルファーを目指す元プロ野球選手は多いです。

しかし、アシスタントプロの給料は安く、プロゴルファーもある程度の年齢から本格的に初めてなれるほど甘い世界ではなく、数年後にプロゴルファーへの道は諦めることになります。

 

そして、現在の職業は

トラックドライバー

ドライバーと言っても宅配便のような大きさではなく、大型トレーラーで1トンの鉄板や重機を北は青森から南は鹿児島まで全国に運ぶ仕事です。

この仕事を選んだ理由は

「野球以外でできることがないから。手っ取り早く稼ぐにはトラックしかなかった」

 

現在の年収は約600万円

奇しくも、プロ入り1年目と同じだそうです。

ぐるっとひと回りして、もう一度スタートラインになったという感じでしょうか。

 

西川佳明の結婚と子ども

現役時代から引退後もしばらくは独身だった西川佳明さん。

2008年、45歳の時に結婚します。

お相手は一般人の方なので詳しい情報はありませんが、お名前は

裕美さん

年齢は西川佳明さんよりも、4歳年下だそうです。

 

そして、結婚から4年後。

49歳で第一子となる男の子を授かりました。

名前は、翼くん

今年で6歳になるわけですね。

 

トラック運転手となったのも、家族のために安定した収入の仕事をしなければならないということが大きな理由だそうです。

長距離運転が日常の職業のため、長いと1週間くらいは家に帰れないことも多い仕事です。

体力的にもきつい仕事ですが、翼くんが成人となる69歳まではこの仕事を続ける覚悟だそうです。


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