テイエムオペラオー死去【馬の心臓麻痺の原因】

2018年5月17日

2000年の年度代表馬で、2000年ジャパンカップを制覇するなど、G1で7勝するなどの名馬・テイエムオペラオーが心臓マヒのために亡くなりました。

22歳でした。

テイエムオペラオーは、現役の種牡馬として北海道新冠町の白馬牧場でけい養していました。

テイエムオペラオー
牡馬・栗毛

生年月日 1996年(平成8年)3月13日
血統 父オペラハウス・母ワンスウエド
調教師 岩元市三 (栗東)
馬主 竹園正繼
生産者 杵臼牧場
セリ取引価格 1,050万円 (1997年 北海道10月市場)
獲得賞金 18億3,518万円 (中央)
通算成績 26戦14勝
連帯率 77%(1着14回、2着6回)

血統こそが強さの証であるサラブレッドの世界で、テイエムオペラオーは血統的にはさほど優れたものではなく、セリ価格1000万円もスタート価格で、竹園正繼以外に入札する者がいなかったのです。

 

1998年8月 栗東・岩元市三厩舎からデビュー。

1年目は骨折による休養などもあり、注目を集めるような存在ではなかったものの、徐々に才能を開花させ、G1で7勝をあげる名馬となりました。

 

獲得賞金は18億3518万円で、当時の世界歴代トップの記録(現在2位)です。

また、2000年の秋の古馬三冠ボーナス1億円を加えると、19億3518万円で、日本競馬界における歴代1位の記録です。

※キタサンブラックがボーナス抜きの賞金獲得額では、18億7684万円でトップ。

 

種牡馬としては、期待されたほどには産駒は活躍できず、種付け数は年々減少していたといいます。

テイエムトッパズレ(母:テイエムシャルマン)の2009年・京都ハイジャンプ(J.G2)、2009年・東京ハイジャンプ(J.G2)制覇が目立つ程度でした。

 

G1で7勝

G1初制覇

1999年皐月賞

 

何といっても、2000年はテイエムオペラオーのためにあったような、奇跡のシーズンでした。

 

G1で5勝

2000年天皇賞(春)

2000年 宝塚記念

2000年 天皇賞(秋)

2000年 ジャパンカップ

2000年 有馬記念

2000年は、史上初の中央4競馬場G1制覇を達成。

同時に、古馬中長距離G1競走完全制覇という前人未到の快挙。

 

そして、

京都記念(G2)
阪神大賞典(G2)
京都大賞典(G2)

と合わせて出走した8レースを全勝し、文句なしに満票で年度代表馬に選出されました。

 

最後のG1勝利

2001年 天皇賞(春)

史上初の天皇賞3連覇を達成し、これが最後のG1勝利となります。

 

2001年は7回の出走で2勝、海外遠征を期待する声もあった中で成績が振るわなくなり、最期のレースとなった有馬記念では、生涯初の5着に敗れ、この年限りで引退を発表しました。

 

死因は心臓麻痺

引退後も健康で、目立った病気やけがもなく、関係者にとっては寝耳に水の出来事だったようです。

亡くなった日も、午前中はいつもと変わりない様子で、放牧中の午後2時過ぎに突然倒れ、ほどなく息を引き取ったということです。

 

竹園正継オーナー

「即死だったみたいですね。

去年の10月に会いに行った時も元気バリバリ。

今年も予定していた5頭のうち2頭への種付けが終わったばかりでしたから」

 

実は、馬の死因として心臓発作は珍しくはないそうです。

獣医学博士、吉原豊彦氏によると

特にレースや調教で、非常に高い心拍数に達する競馬馬は、突然ペースが落ちたときなどには、不整脈や心房細動が確認されることがあるということです。

テイエムオペラオーは放牧中の事故でしたが、馬の心臓麻痺は健康な馬でも突発的に発症するため、発症の予測は難しく、原因も不明だそうです。

 

サラブレッドの心臓麻痺による死亡例

1961年の天皇賞・秋

7着に敗れたサチカゼ(牡5歳)がゴール後に倒れ、息を引き取りました。

 

2014年11月4日

オーストラリア・メルボルンカップに参戦した、アドマイヤラクティ(牡7歳)がレース後に急死。

 

2015年7月23日

レース中ではありませんが、2001年の安田記念などに優勝しているブラックホーク(21歳)が心臓麻痺で亡くなっています。

 

また、種牡馬が種付け中に心臓麻痺で死ぬこともあるようです。


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