野村嘉明【野村克也の兄】の人生・現在・弟との確執はサッチー?

野村克也氏といえば、元プロ野球選手にして監督として、いまだに野球界を代表する有名人。

幼いころは極貧生活を強いられながら、テスト生として南海ホークスに入団したことはよく知られています。

実は、野村克也氏は、実の兄の助けがなければプロ野球選手となれなかったといわれています。

 

一般人のため、情報は限られますが、調べてみました。

野村 嘉明(のむら よしあき)

年齢は野村克也氏の3歳上。

野村克也氏は、1935年6月29日生まれの82歳なので、現在85歳でしょうか。

 

極貧生活の野村家

野村克也氏の実家は、京都府の網野町(現京丹後市)で食料品店を営んでいました。

父親の野村要市さんは、克也氏が3歳のときに亡くなっています。

表向きは、日中戦争に出陣して満州で戦死したとされていましたが、実は道端の供え物の柿を食べて亡くなったとも言われています。

 

看護師だった母・野村ふみさんは、夫を亡くしたうえに体が弱く、二度もガンを患ってしまいます。

野村克也氏の幼少時代は戦時中ですので、日本全体が厳しい時代でしたが、その中でも野村家は極貧生活を強いられていました。

家計を助けるため、小学校1年生の頃から新聞配達などをしていたことは有名です。

当時、兄の嘉明さんと

「なんで俺たち、貧乏なんや」と愚痴をこぼし合っていました。

 

克也少年は、大人になったら絶対金持ちになることばかり考えて育ちます。

最初に目指したのは、歌手。

次は、映画俳優。

そして、運動が得意だった克也少年はプロ野球選手を目指そうと夢見るようになります。

 

兄・嘉明さんは克也氏と正反対で、運動は苦手。

しかし、成績は常に優秀で、小学校から高校まで同じ学校に通った克也氏はいつも学校の先生から

「あの野村嘉明の弟か。お兄さんは優秀だったぞ。それに比べてお前は・・・」と言われ続けてきたそうです。

 

お母さんも、克也氏には「勉強せえ!」と叱るが、兄・嘉明さんにはこう言っていたそうです。

「そんなに机にばかり向かって座っていると身体を壊すよ。

たまには外に出て遊んでおいで」

 

野村克也氏は常々、「自分はコンプレックスの塊」と評しますが、幼いころに兄にいただいたコンプレックスがその始まりだったのかもしれませんね。

 

高校進学は兄・嘉明のおかげ

そんな克也氏に対して母は

「お前は成績も悪いから、中学を卒業したら就職しなさい。

お母ちゃんを助けてくれないと、この家はもうどうにもならない」

 

プロ野球選手になることを夢みていた克也少年は、大きなショックを受けます。

そこで助け舟を出してくれたのが兄の嘉明さんでした。

「これからの時代、高校ぐらい行かないと絶対に苦労する。

俺は大学に進学するつもりでいたけど、卒業したら就職するから、代わりにこいつを高校に行かせてやってくれ」

 

兄の大学進学と引き換えに、高校に進学することが許されました。

進学したのは、京都府立峰山高校。

 

実は兄・嘉明さんも同校の卒業生です。

自分が通っている峰山高校を受験するように克也氏に勧めたのも嘉明さんです。

弟・克也がプロ野球選手になる夢を持っていたことを知っている嘉明さんは、

「過去に工業化学科出身の野球部員が、社会人野球の名門カネボウ(鐘淵紡績)の野球部に何人か入っている。

そうした道筋ができているから、もしお前が将来も野球を続けていきたいのなら、工業化学科がいいんじゃないか」

こう言って、峰山高校の工業科を受験するように勧めます。

 

しかし、プロ野球選手にまでなるとはさすがに考えていたわけではなく、高校の野球部で頑張れば、社会人野球くらいなら通用するんじゃないかと思ってアドバイスしたそうです。

しかし、克也氏は自分の夢のために兄に大学進学を諦めさせたという負い目もあり、どうしてもプロ野球選手にならないといけないと覚悟を決めます。

 

峰山高校野球部は弱小で、克也氏が在学中は甲子園はおろか、負け続けの3年間。

当然ながら、プロのスカウトの目に留まることはありませんでしたが、テスト生として南海ホークスに入団を果たします。

その後は、強打の捕手として活躍。

戦後初の三冠王。

兼任監督を経て、日本を代表する選手・監督に成長しました。

 

野村嘉明のその後

兄・嘉明さんは、高校卒業後に母との約束通り大学進学をせずに、島津製作所に入社します。

社会人となり家計を助けましたが、後に克也氏がプロ入りしたこともあって、数年間働いた後に大学へ進みます。

 

その後は、某有名企業に就職し、定年退職まで勤めます。

定年後も系列会社に数年間勤務されました。

現在ではお孫さんもお2人いるようです。

 

野村克也氏との確執

プロ野球選手になることを自分の大学進学と引き換えに後押しした嘉明さん。

兄のおかげで今があると常々語っていた野村克也氏。

ところが、この2人。

40年にわたる確執があるそうです。

1978年(昭和53年)4月、野村克也氏は前妻との離婚が成立し、沙知代さんと再婚します。

二人が出会ったときにはお互いに既婚者で、いわゆるダブル不倫。

さらに沙知代さんは子持ち。

 

愛人として野村克也氏が監督だった南海ホークスの監督室に出入りし、チーム運営にまで介入するなど悪評が高かったのです。

そんな沙知代さんとの結婚を、周囲の人たちと同様に、兄・嘉明さんは反対したそうです。

 

そんな周囲の声に逆らって再婚したことで、兄・嘉明さんとの間も疎遠になてしまい、沙知代さんが亡くなるまでの40年間、音信不通だったとか。

沙知代さんが亡くなり、兄弟の間にあったわだかまりが少しずつ溶けて、仲のいい兄弟に戻れることを願っています。


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