新浪博士の本名は?【兄はビジネスマンの大物】スーパードクターが提訴される

日本人の死因の第1位はガン、第2位は心臓病であることは広く知られています。

心臓病によって亡くなる方の数は1年間で約20万人。

そんな心臓手術におけるスーパードクターと呼ばれ、人工心肺を用いない(オフポンプ)で行う冠動脈バイパス手術の権威がこのドクターです。

新浪 博士(にいなみ ひろし)

東京女子医科大学病院 心臓血管外科 教授

本名 新浪 博
生まれ 1962年(昭和37年)
出身地 神奈川県
血液型 B型
高校 神奈川県立横浜翠嵐高校
大学 群馬大学医学部卒業
趣味 エレクトリックギター演奏、ロードバイク

 

新浪博士の経歴

大学を卒業した新浪博士は、海外留学で心臓外科の最先端技術に触れながら、いくつもの大学病院で活躍されてきました。

1987年 群馬大学医学部 卒業
1987年 東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所 研修医
1989年 アメリカ・ウェインステート大学 留学
1991年 東京女子医科大学大学院 博士課程 修了
1991年 東京女子医科大学 心研循環器外科 助手
1995年 オーストラリア・アルフレッドホスピタル 留学
1996年 オーストラリア・ロイヤルノースショアホスピタル 留学
1998年 東京女子医科大学 心研循環器外科 帰局
1999年 東京女子医科大学附属第二病院 心臓血管外科 講師
2004年 東京女子医科大学附属第二病院 心臓血管外科 助教授
2004年 順天堂大学医学部心臓血管外科 助教授
2007年 埼玉医科大学病院心臓血管外科 教授
2007年 埼玉医科大学国際医療センター・心臓病センター心臓血管外科 教授
2017年 東京女子医科大学病院 心臓血管外科教授

 

子どもの頃から手先が器用だったという新浪博士医師は、中学生の頃には外科医になりたいと考え始めたそうです。

そして、高校時代にヒットした人気ドラマ「白い巨塔」を見て、ほんかくてきに外科医になることを目指します。

財前教授に憧れていたのでしょうか?

 

やはりテレビドラマの影響って大きいですね。

きっと「コードブルー」を見て、救命医を志した若者も多くいるでしょう。

 

新浪博士医師のお兄さんは、新浪剛史氏。

サントリーホールディングス社長を務めるビジネス界の大物です。

 

兄弟そろって神奈川県有数の進学校、神奈川県立横浜翠嵐高校に通っていたこともあり、よく比べられたそうです。

横浜翠嵐高校は、偏差値73という神奈川県内でも有数の進学校です。

3歳違いなので、兄の入れ替わりで入学したために、一緒に通ってはいませんでしたが、お兄さんが素晴らしすぎて、弟としては苦しいものがあったようです。

背が高く、バスケットボール部で活躍し、神奈川県の優秀選手にも選ばれるほどのスポーツマンで、チームも神奈川県では強豪の一角をしめるほどだったといいます。

そのうえ、社交的な性格で、リーダーシップを発揮して組織を束ねる経営者としての資質を高校時代から備えていたといいます。

その弟として入学時から「新浪の弟が入学してくる」と注目される存在。

 

身長も普通、スポーツも普通、性格も内向的でリーダーシップをとることもしない。

高校の先生から

「お前は本当に新浪の弟か」

と言われたそうです。

優秀な兄を持つと辛いですね~。。。

 

それでも勉強はお兄さんよりもできたということで、それが自信にもなっていたのかもしれませんね。

 

しかし、高校時代は勉強よりも遊びに熱心で、塾をサボって友達と喫茶店に行ったり、途中で制服を私服に着替えて遊びに行ったりしていたとか。

慶応義塾大学に進学して、体育会で活躍していた兄に、よく注意されていたようです。

勉強よりも遊びを優先させたツケがたまり、医師を志して高校3年の受験では、公立大学の医学部を受験するも不合格。

私立医大は学費がべらぼうに高いので、公立一本だったために、1年間浪人の末、群馬大学医学部に合格しました。

 

大学卒業後、医師として大きな影響を受けたのは、2回にわたる海外留学だったそうです。

 

アメリカ留学

重症心不全に対し骨格筋を使って心臓をサポートするという研究の目的で留学。

ドイツ、イギリス、中国、アフガニスタンなど世界中から最先端の医療を学ぼうという人が集まり、多くの刺激を受けました。

 

オーストラリア留学

アメリカでの研究を基に、オーストラリアでは多くの臨床経験を積み、2年間で200例もの手術を手がけました。

その多くが、現在も新浪博士医師が得意とする、冠動脈バイパス手術。

当時はまだオフポンプではなく、人工心肺を使用しての手術でしたが、多くの症例を積み重ねる中で医師として大きく成長した時代でした。

このとき34歳。

大きな自信を身につけて、帰国することになります。

 

数こそ質なり

日本の心臓外科医が行う手術の症例数は、平均で1年間に33症例。

30日に1回くらいの間隔でしょうか。

これは、年間に行われる心臓手術が約6万件で、心臓外科医が約2000人ということなので、物理的にこれ以上の症例数をこなすには海外に出るしかないのです。

実際に、海外の医療先進国では、最低でも年間200例の手術をしないと、スキルがメンテナンスできないとされています。

 

新浪博士医師がオーストラリア留学時代に行っていた数と同じですね。

そして、留学から帰国した新浪博士医師は、なんと年間で300症例を超える手術をこなしています。

1年365日で300症例というのは、休日以外は毎日心臓手術をしていることになります。

ものすごいことですね。

 

これには新浪博士の「数こそ質なり」という思いが強く表れています。

「自分は手術がやりたくて外科医になりましたから。自分からメスを取り上げたら、自分には何の存在価値もないと思っています」

 

天野医師との出会い

日本に帰国して、東京女子医科大学に戻った新浪博士医師。

ここから、オフポンプでの冠動脈バイパス手術を始めます。

そのころ、学会で順天堂大学の心臓外科の名医・天野篤医師と知り合います。

「よかったらうちに来て一緒にやらないか。僕の隣の手術室を先生に渡すから」

住み慣れた東京女子医大を離れることに不安はありましたが、順天堂大学へ移ることを決意します。

 

天野篤医師の手術を間近で見る機会を得て、3年間で非常に得るものが大きかったそうです。

 

あるとき、新浪博士医師の心臓のバイパス手術に関する手術で、天野篤医師と議論になります。

新浪博士医師が術前の説明をすると、天野篤医師は、

「そこやらないの? もう一歩やってあげた方が、この患者さんにとってはベターだよね」

 

40歳になって自分の技術に自信を持っていた新浪博士医師は、反論し議論となりました。

しかし

「天野篤先生は、クオリティの高い手術を行うために、プラスアルファを患者さんにしてあげることを実践されていた。

チャレンジの大切さを、私は天野篤先生から学んだと思います」

 

今でも手術前日に、手術のシミュレーションをしながら「本当にこのプランがベストなのか?」を考え悩むそうです。

寝る前に考えがまとまらず、当日の朝に別の手術プランに変更することもあるといいます。

「自分の技量、今までやってきた経験でできるベストな方法を考え抜きます。

最終的にどのプランで行くのかを決めるのは手術室ですが、そのベースに先述の天野篤先生の言葉『もう一歩やってあげた方が、この患者さんにとってはベター』が効いていることはたしかです」

 

新浪博士医師が提訴される

スーパードクターの新浪博士医師ですが、実は昨年、手術後に亡くなった患者の遺族から提訴されていました。

 

2017年4月

埼玉県に住む当時64歳の女性が、

「心雑音がするので、心臓の専門医に診察してもらった方がいい」

と言われ、かかりつけ医からの紹介状を手に、新浪博士医師が当時勤務していた埼玉医科大学を訪れました。

遺族によると、新浪博士医師は診察の結果

「石灰化した心臓の大動脈弁を取り替える手術が必要ですが、簡単な部類に入る。

私が執刀します」

と説明して、女性は入院することになりました。

 

ところが、手術直前になって、執刀医が新浪博士医師から別の医師への変更されました。

スーパードクターの手術が受けられるものと期待していた女性は、手術の延期を検討します。

 

執刀医の、

「新浪博士医師の指示を受けて手術をする」

という言葉を、

手術室で新浪博士医師が直接指示をして手術するものと理解して、手術は予定通り行われました。

 

しかし、5月1日に行われた手術室に、新浪博士医師は現れませんでした。

そして、手術を受けた女性は手術中に心筋梗塞を起こします。

 

執刀医がステント処置を行い、さらにバイパス手術を行ない、何とか一命はとりとめたものの、その後も一進一退を繰り返し5月16日に亡くなりました。

 

新浪博士医師は手術後も、その女性の病室に行くことはなく、女性が亡くなる一時間前に手術後初めて病室に現れたということです。

 

遺族の方によると、新浪博士医師は

「申し訳ありません」と謝罪をしたうえで、執刀医が変更になった理由として、次のように説明したそうです。

「私の母が亡くなったばかりでした。

そんな状況では執刀できないという病院の規則がある」

 

身内に不幸があった場合は執刀医から外すという規則は、確かにあったらしいのですが、取材によると

新浪博士医師のお母様が亡くなったのは3月のことで、手術が行われたのが5月1日ですので、少なくとも1ヶ月以上は空いていたことがわかりました。

 

仮に母親が亡くなったのが3月というのが本当だとすると、女性が入院する前になります。

規則があるなら止むを得ませんが、その時点で「私が執刀します」という言葉自体が間違いであったということになります。

 

さらに、「規則で執刀できない」といっていた手術当日に、別の手術をしていたことも発覚したということです。

この取材内容が本当であれば、明らかに嘘をついていることになります。

 

スーパードクター・新浪博士医師の手術を望む患者は日本中にいます。

患者に対しても、「この手術は簡単な部類に入る」と伝えていますので、この程度の手術であれば自分が執刀しなくても大丈夫だという判断はあったのかもしれません。

もっと難易度が高い手術、新浪博士医師でなければ治せない重症患者を優先させたとしても、やむを得ないでしょう。

しかし、それであるならば正直に伝えるべきでした。

いかに簡単な手術でも、人間のやることに100%はないのですから。

亡くなった女性の遺族は、埼玉医科大と新浪博士医師に対して、総額1億円の損害賠償を求め、さいたま地裁川越支部に提訴。

 

埼玉医科大からも、新浪博士医師からも、都の件に関しては何もコメントは出ていません。

そして、偶然なのか、この件が関係しているのか不明ですが、新浪博士医師はこの後ほどなくして、埼玉医科大学を去り、古巣である東京女子医科大学病院・心臓血管外科教授に就任しています。

その後の裁判の経過については、調べてみたのですが、和解をしたのか係争中なのかも含めて、わかりませんでした。

スーパードクターも全知全能の神ではないので、丁寧な対応が望まれますね。


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