金澤翔子と泰子【ダウン症の天才と母の物語】父の一言がスゴイ

ダウン症の天才書家として有名な金澤翔子さん。

2012年NHKの大河ドラマ「平清盛」の題字を描いたのも金澤翔子さんでした。

【公式】ダウン症の書家 金澤翔子 ?進化の軌跡?

 

金澤 翔子(かなざわ しょうこ)

生年月日 1985年(昭和60年)6月12日
年齢 2018年5月末で、32歳
出身地 東京都目黒区
小蘭

 

ダウン症の天才書家の母

母親は、書家の金澤泰子さんです。

金澤 泰子(かなざわ やすこ)

生まれ 1943年(昭和18年)
出身地 千葉県

小学1年で書道を始め、書家の柳田泰雲に師事。

「久が原書道教室」を営む。

著書「魂の書」など

 

泰子さんは、翔子さんを生むまでに三度の流産を経験し、41歳の高齢出産でした。

帝王切開による出産後、新生児期に敗血症のために保育器の中で過ごし、後にダウン症と診断されました。

ダウン症

遺伝情報を伝える22対の常染色体の中で最も小さい21番染色体が1本多いことで起きる。

発達障害のほか、先天性の心臓病を合併することもある。

 

当時はまだダウン症に対する誤解も多く、高齢出産の弱った体に大きなショックを与えまいと、泰子さんにその事実が伝えられたのは出産後45日たってからでした。

 

娘と一緒に死のう

出産する前、もし男の子なら日本一の能楽師に、女の子だったら日本一の書道家にしようと思っていたという母・泰子さんは、「娘と一緒に死のう」と何度も考えたそうです。

周りの人に迷惑をかけることは間違いない。

この子も幸せな人生を歩むことなどできない。

無理をして高齢出産をした私の責任だ。

 

様々な思いが駆け巡り、

ミルクを薄めて衰弱死させようか

手を滑らせたことにして、坂の上からベビーカーを落とそうか

そんなことを考える毎日でした。

 

そんな母娘を献身的に支えたのが、クリスチャンのご主人でした。

出産直後に医師に呼ばれ、

「敗血症で、交換輸血が必要です。

ただ、ダウン症のため、知的障害もある。

交換輸血してまで助けなくてもよいのでは」

と告げられたご主人は、

「ぼくは、神の挑戦を受けるよ」

 

このご主人でなければ、今の金澤翔子さんはいなかったのかもしれません。

そのご主人は、翔子さんが14歳の時に心臓発作で突然亡くなります。

52歳でした。

 

書家への道

赤ん坊の時から母の姿を見て育った翔子さんが書道の道に進んだのは必然ではありました。

翔子さんが、小学校の普通学級に行けることが決まり、それならば小学校で友達を作れるようにと、同じ学年の子ども3人とともに、母・泰子さんが教える書道教室で始めます。

書道を楽しむことを中心に教えていた泰子さんですが、あるときから276字からなる般若心経を書かせるようにしました。

障害のある子は孤独の時間が多いだろうから、それに耐えられるような強い子にしようと考えて、厳しく指導しました。

毎日朝から夕方までずっと書き続けたといいます。

 

その後は、その才能が開花し、様々な賞を受賞するようになります。

1995年 全日本学生書道連盟展に「花」を初出品
1999年 日本学生書道文化連盟展に「龍」を出品し銀賞
2000年 日本学生書道文化連盟展に「延命十句観音経」を出品し銀賞
2001年 日本学生書道文化連盟展に「舎利札」を出品し金賞
2002年 日本学生書道文化連盟展に「觀」を出品し金賞

 

金澤翔子さんが通った特別支援学校

小学校は普通教室へ通った翔子さんですが、そのご特別支援学校・矢口養護学校に進学しています。

 

翔子さんが20歳となる、2005年

最初の個展である「翔子 書の世界」を銀座書廊で主催して話題となりました。

この個展は6年前に亡くなった父親との、「20歳になったら個展を開いてみんなに披露する」という約束だったそうです。

この個展で大きな注目を集めた翔子さんの作品の何が優れているのでしょうか?

 

金澤翔子作品集

 

母・泰子さんによると

「技術的な問題ではありません。

テクニックでいえば、私の方がずっと上手です。

これは、魂レベルの話なのです。

みな、心が震えると言ってくれます。

翔子はうまく書こうという思いはありません。

ただ、私に喜んでほしい、みんなに喜んでほしいという思いだけで書きます。

名誉を気にすることはないのです。

そのように無心で書くから感動を呼ぶのかもしれません」

 

ダウン症の天才として大きな話題を集め、その後は広く活躍

2006年10月 建長寺に「慈悲」を奉納

2009年11月 建仁寺に「風神雷神」を奉納

2012年1月 福島県いわき市に金澤翔子美術館を開設しました。

また、2012年のNHK大河ドラマである平清盛の題字を担当したことでも大きな話題を集めました。

 

今や天才書家としての地位を確立した金澤翔子さん

いつもそばにいた母・泰子さんは

「日本一不幸だと思っていましたが、今は日本一幸せだと思っています。

だから、ダウン症の子を持つ親御さんに翔子の輝く姿を見てもらおうと、講演などに連れて行くのです。

当初、知能がなく歩けないかと言われた子が今、元気いっぱいではち切れそうです。

お利口さんで、いつも他の人の役に立ちたくて仕方がない優しい子になりました。

こんなに元気になるから泣かないでと講演では話しています」


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