井上修一の家族【ハングリータイガー会長】どん底からの復活![店舗情報]

ハンバーグ&ステーキ専門店のパイオニア的存在の「ハングリータイガー」

炭火で焼き上げたビーフ100%ハンバーグを、熱々の鉄板にのせて、お客さんの目の前でウェイターがソースを掛けて仕上げる。

今では多くの人気ハンバーグ店でおなじみのこのスタイルを、日本で最初に始めたのも、ハングリータイガーなのです。

今日は、ハングリータイガー会長・井上修一さんを調べてみます。

井上 修一(いのうえ しゅういち)

生まれ 1942年(昭和17年)
年齢 2018年4月現在、75歳

実家がお肉屋さんだったという井上修一さん。

大学時代からレストラン経営を志して、アメリカのレストランスクールへ留学します。

帰国後、26歳にしてハンバーグレストラン「ハングリータイガー」を開店します。

 

株式会社ハングリータイガー

設立年月 1969年(昭和44年)2月14日
所在地 神奈川県横浜市保土ヶ谷区仏向町991-1
代表者 取締役会長 井上修一
取締役社長 井上 元文
従業員数 正社員 42名
アルバイト・パート458名
資本金 5,000万円
売上高 21億4,100万円(2016年7月期)
18億6,100円(2015年7月期)
16億1,400万円(2014年7月期)

1969年、横浜市保土ヶ谷に1号店を開店。

それまでのレストランは繁華街や駅前の立地という常識からかけ離れた、人里離れた丘陵地帯。

車での来店を前提とした駐車場付きの郊外型店舗は、ファミリーレストランの普及で当たり前になりましたが、当時はまだ「すかいらーく」も「マクドナルド」もなく、日本初のスタイルでした。

 

また、客の目の前でソースをかけて仕上げるというアメリカのバーベキュースタイルでの提供も話題となって、人気店に成長します。

その後も店舗数を増やし、1980年代後半のバブル景気もあって、神奈川県を中心に、出店数は30店舗を超えました。

 

店舗数激減からの復活

しかし、1990年代後半に社会的な大問題となったのが、0-157事件

1996年には、大阪府堺市で発生したO-157集団食中毒は、学校給食を食べた市内47校の児童と教職員の7,966人が集団感染した上、その家族など1,557人が2次感染。

そして、当時7~12歳の小学生女児3人が死亡しています。

 

当時はカイワレ大根が原因ではないかといわれていましたが、結局原因の特定はできず、食中毒に関する過敏反応が集団ヒステリー的に起こりました。

 

そして、2000年2月初旬以降、ハングリータイガーの5店舗の客から,病原性大腸菌O157の感染者が出ました。

患者は,発症者10人と保菌者3人の合計13人。

被害発生が確認されていた3店と本部物流センターが営業禁止処分になりました。

 

ハングリータイガーのハンバーグは、半生の状態で提供して、過熱された鉄板プレートで客の好みに応じて火を通す。

レアが好きな人はそのままに近い状態で、、ウエルダンが好きな人はしっかり火を通して。

客に提供する前にしっかりと火を通してしまうと、ウリだったふっくらした仕上がりとは程遠い固い仕上がりになってしまう。

 

調査の結果、アメリカでパテにしたハンバーグがO157に既に汚染していたことがわかりました。

さらに、人気商品だったダブルハンバーグステーキは、肉の量が多いことが大食漢に好まれましたが、鉄板プレートの過熱状態がパテ1つを仕上げることを前提していたために、パテが2つのダブルハンバーグステーキは、パテの加熱が不十分になる傾向にあったのです。

 

仕入れ先をオーストラリアに変更し、調理法を改善することで、安全でふっくらとした仕上がりのハンバーグを仕上げることが出来ました。

 

しかし、これで問題が解決とはならず。

O157で痛手を受けたハングリータイガーに、BSE(牛海綿状脳症)が追い打ちを掛けました。

2001年9月10日に千葉県で BSE の疑いがある牛が発見されたと農水省が発表。
10月に食用牛の全頭検査が導入されるなどの対応がされたが、翌年、雪印食品の産地を偽装した事件が混乱に輪をかけたこともあって、牛肉を扱う一部の食品・飲食店業者・外食産業企業などに大きな打撃を与え深刻な社会問題となった。
(参照:Wikipedia)

 

この国内BSE騒動によって、ハングリータイガーに限らず、牛肉を使った外食チェーンが大きな痛手を負いました。

O157とBSEのダブルパンチで売り上げが激減。

すると、新規店舗の出店に尽力してくれた金融機関が、事業展開の縮小を迫ります。

 

追い込まれた井上修一社長。

倒産や会社更生法という選択肢もありましたが、社員たちの生活を何とか保障する道を模索します。

30店舗を主力3店舗(保土ヶ谷店、相鉄ジョイナス店、若葉台店)を残して縮小し、閉店によって社員が職を失わないようにタスコシステムに事業譲渡しました。

 

2002年、店舗数縮小によってハングリータイガーは何とかこの苦境を生き延びる事が出来たのです。

ここから死に物狂いで事業回復に突き進んだ井上修一社長。

 

2002年の2月縮小直前の本店の売り上げ1億5千万円を、翌月には2億2千万円と、O157騒動前の除隊に戻して、V字回復を果たします。

その後、順調に店舗数を増やしていきました。

 

新規開店の歴史

2005年12月7日. 日野店
2006年7月7日. 港北センター南店
2007年11月17日. 若葉台店(新装オープン)
2008年3月27日. トレッサ横浜店
2008年9月17日. 横浜駅西口モアーズ
2013年4月8日. tigerBBQららぽーと横浜店
2014年6月27日. イオンモール名古屋茶屋
(2016年12月15日閉店)
2014年11月22日. グランツリー武蔵小杉
2015年10月29日. ららぽーと海老名
2017年1月12日. 湘南辻堂店

 

井上修一は社員思い

どん底からV字回復を果たした創業社長。

さぞかし鬼社長なのかと思いきや、とても社員思いの優しい方のようです。

社長秘書によると

「社長(現会長:井上修一)も副社長(現社長:井上元文)もとても優しくて楽しい方」


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