樹木希林の死因【家族が凄い】懐かしのCM動画

個性てな演技で名を馳せた女優・樹木希林さんが、9月15日午前2時45分

東京都渋谷区の自宅で亡くなりました。

本日、9月16日近親者のみで通夜を執り行い、30日に告別式の予定ということです。

昭和の名女優、しかも飛び切りの個性派女優が訃報に各方面からも惜しむ声が寄せられています。

樹木 希林(きき きりん)

本名 内田 啓子(うちだ けいこ)
旧姓 中谷
旧芸名 悠木 千帆(ゆうき ちほ)
生年月日 1943年(昭和18年)1月15日
没年月日 2018年(平成30年)9月15日
没年齢 75歳
出身地 東京市神田区(現・東京都千代田区)
高校 千代田女学園
血液型 A型

生い立ち~女優デビュー

薩摩琵琶奏者の父・辰治さん(錦心流の中谷襄水)と、神保町でカフェ「東宝」を経営する母の間に生まれました。

琵琶奏者という珍しいお仕事のお父様ですが、妹の荒井昌子(姿水)さんも、妹の息子・荒井靖水さんも、薩摩琵琶奏者です。

妹の息子の妻は、箏・二十五絃箏奏者の荒井美帆さんという芸術家一家なのです。

個性派女優となる個性はこんな家庭環境にもあったのかもしれませんね。

 

高校時代に演劇部に入部したことが演技との出会いでした。

しかし、当時は薬剤師を目指していたそうです。

ところが、大学受験直前にスキーに出かけて、足に大怪我を負ってしまい、大学進学を断念。

文学座付属演劇研究所に入り、本格的に女優への道を歩み始めます。

1964年1月6日開始の、テレビドラマ『七人の孫』のレギュラーに抜擢されます。

この作品は、森繁久彌さん主演の人気ホームドラマで、この出演をきっかけに一躍お茶の間に名前が知られるようになりました。

さらに、森繁さんのアドリブを見事に切り返すことで、スタッフの間でも評判となり、女優としての活動が一気に広がったそうです。

 

寺内貫太郎一家

多くのドラマ、映画、舞台に出演しましたが、何と言っても樹木希林さん(当時は悠木千帆)の当たり役というと、20代の頃から演じて評判の高かった老人役。

最高のはまり役として有名な、1974年のドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS)

主役・寺内貫太郎(小林亜星)の母親役を演じます。

このとき、樹木希林(当時・悠木千帆)さんは、31歳になったばかりで、息子役の小林亜星さんは1932年8月11日生まれの41歳

なんと、10歳年下で母親を演じました。

私も大好きでよく見ていましたが、西城秀樹さんとの掛け合いなど本当に見事な演技でした。

そして、寺内貫太郎一家の悠木千帆さんといえば、この名シーン。

 

悠木千帆から樹木希林へ

1977年4月1日

『テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継』の番組で、オークション企画がありました。

そこで、なんと悠木千帆の芸名をオークションにかけます。

前代未聞のこのオークション。

落札金額は、2万200円

世田谷の飲食店店主が落札して、無償で2004年に女優の山田和葉さんに譲渡し、2代目・悠木千帆となっています。

 

『ムー』『ムー一族』

樹木希林になった後のヒットドラマといえば、郷ひろみと共演した「ムー」「ムー一族」

郷ひろみとのデュエット「お化けのロック」「林檎殺人事件」が大ヒットしました。

 

久世光彦との関係

樹木希林さんを世に出したドラマ「七人の孫」

大ヒット作となった「寺内貫太郎一家」

個性派名女優としての地位を確立した「ムー」「ムー一族」

これらを手掛けたのが、プロデューサーの久世光彦氏。

久世光彦氏の存在なくして、樹木希林さんの成功はなかったのではないかと言われる名プロデューサー。

さぞかし固い絆で結ばれた間柄かと思いきや、とんでもないことをしでかしています。

実は当時、久世光彦氏は女優のぐちともこさんと不倫関係にありました。

さらに、のぐちさんは妊娠8か月。

 

関係者の間では公然の秘密だったそうですが、この事実を、なんと「ムー一族」打ち上げパーティーで、樹木希林さんが暴露してしまいます。

樹木希林さんは彼女なりの2人に対しての思いやりで、

「2人の気持ちを軽くしてやろうと思った」

 

凄いのは、久世氏はこの事実をその場で認めて、ほどなく離婚。

のぐちさんと再婚しています。

しかし、この不倫騒動でTBSを退社まで余儀なくされた久世氏との関係は険悪になってしまいます。

そりゃあ、そうだよな~。

 

2人が再び仕事をともにしたのは、1996年

ドラマ『坊ちゃんちゃん』を、久世氏のプロデュースで、郷ひろみと共演。

やはり固い絆で結ばれた間柄だったのですね。

 

樹木希林の結婚・家族

1964年 俳優の岸田森さん(故人)と結婚します。

1968年 離婚

 

1973年10月 ロックシンガーの内田裕也と再婚。

内田 裕也(うちだ ゆうや)

本名 内田 雄也
生年月日 1939年(昭和14年)11月17日
年齢 2018年9月現在、78歳
出身地 兵庫県西宮市
小学校 堺市立大美野小学校
中学校 堺市立三国丘中学校
⇒清教学園中学校
⇒大阪市立旭陽中学校
高校 大阪府立旭高等学校(中退)
⇒大阪府立三国丘高等学校卒業
大学 日本大学法学部二部(中退)
身長 174cm
血液型 B型

超個性派同士のカップルで、当時は「長持ちするはずがない、数年以内に離婚間違いなし」と言われていました。

そして、噂通り結婚後、1年半で別居してしまいます。

ところがここからは、不思議な関係を続けます。

 

1981年 内田が無断で離婚届を区役所に提出。

樹木希林さんは、離婚の承諾をしていないと家庭裁判所に申し立てをして、勝訴。

別居はしているものの、離婚をするつもりはなかったのですね。

 

1年に1回連絡を取るような間柄だったようですが、樹木希林さんにガンが見つかったころから、連絡を取る頻度が増えて、最近は1ヵ月に1回くらい連絡を取っていたようです。

毎年1月は一緒にハワイで過ごすなど、つかず離れずの関係を続けていました。

お二人で、ゼクシィのCMにも出演されています。

樹木希林さんのCMといえば、こちらが超有名ですね。

 

フジカラーCM

2人の間には、お子さんが1人いらっしゃいます。

内田 也哉子(うちだ ややこ)

生年月日 1976年(昭和51年)2月11日
年齢 2018年9月現在、42歳
出身地 東京都
職業 エッセイスト、歌手、女優

1995年に本木雅弘さんと結婚。

 

お子さん、つまり樹木希林さんのお孫さんは

1997年生まれ 長男・雅樂(うた)くん

1999年生まれ 長女・伽羅(きゃら)さん

2010年生まれ 次男・玄兎(げんと)くん

 

樹木希林の死因

晩年の樹木希林さんは、次々に病魔が襲い掛かり、厳しい日常を送っていました。

2003年1月 網膜剥離で左目を失明。

 

2005年1月 乳癌が判明し、摘出手術を受ける。

手術は成功し、仕事にも復帰。

完治しているのかと思われましたが、実はガンは腸、副腎、脊髄など全身に転移していました。

2013年 第36回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した際のスピーチで、その事実を告白します。

 

2014年 ガン治療が終了したことを公表。

しかし、実際には全身に転移したガンが完治したわけではなく、おそらくガン治療を「終わりにした」のではないでしょうか。

ある程度の年齢になれば、ガンは進行も遅く、積極的な治療を中止してもある程度安定した状態で過ごすことが可能な場合もあります。

 

2018年8月13日 左大腿骨を骨折。

緊急手術を行い、入院中に一時危篤状態にまで陥っていたそうです。

 

樹木希林さんの死因は公表されていませんが、全身に転移したガンによって、「心不全」あるいは「多臓器不全」になった可能性が高いと思われます。

 

樹木希林さんの遺作

日本人21年ぶりの快挙となる、カンヌ国際映画祭 パルムドール受賞した名作

「万引き家族」

心よりご冥福をお祈りいたします。


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