翁長雄志の家族【政治一家】死因・県知事選挙予定は?

沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事が2018年8月8日、すい臓がんのため入院先の浦添市内の病院で亡くなりました。

注目の高い県知事選を前に、辺野古への基地移設阻止のために、埋め立て承認取り消しの手続きを進めることを表明したばかりでした。

自民党県連の中心人物が、なぜ反基地運動で自民党と正面から対立することになったのか。

沖縄の名門政治一家に生まれたサラブレッドの激動の人生を振り返ります。

翁長 雄志(おなが たけし)

生年月日 1950年(昭和25年)10月2日
没年月日 2018年(平成30年)8月8日
没年齢 67歳
出身地 沖縄県真和志村(現:那覇市)
小学校 那覇市立大道小学校
中学校 那覇市立真和志中学校
高校 沖縄県立那覇高等学校卒業
大学 法政大学法学部卒業

父親と兄、そして自身の次男も政治家。

翁長雄志さんが生まれた翁長家は、沖縄の保守政界を代表する名門でした。

 

翁長雄志の家族

父親

翁長 助静(おなが すけしげ)

元沖縄県真和志村長・真和志市長

生年月日 1907年(明治40年)8月25日
没年月日 1983年(昭和58年)2月6日
出身地 沖縄県真和志村真嘉比
学歴 沖縄県立第一中学校卒業(旧制)
沖縄県師範学校本科二部卒業

沖縄の尋常高等小学校で訓導(現在の教員)、南風原青年学校長、大道小学校長として沖縄の教育に尽力しました。

真和志村長、真和志市長を歴任。

また、アメリカ施政権下の沖縄における立法機関である立法院議員を務めます。

那覇市長選にも立候補するも落選。

しかし、沖縄都市建設株式会社取締役社長にも就任し、沖縄の発展に貢献しました。

 

翁長 助裕(おなが すけひろ)

生年月日 1936年(昭和11年)3月14日
没年月日 2011年(平成23年)1月15日
没年齢 74歳
出身地 沖縄県那覇市古島
大学 法政大学法学部政治学科卒業
大学院 法政大学大学院社会学研究科政治学専攻修士課程修了

元沖縄県副知事

元沖縄県議会議員

1972年(昭和47年) 沖縄県議会議員に当選し、連続当選で2期を務めました。

1979年(昭和54年) 衆議院沖縄県全県区に新自由クラブ公認で出馬して国会議員を目指しますが、残念ながら落選。

沖縄県教育委員を2期、教育委員長を3期務めるなど、教育行政の向上に尽くします。

1988年(昭和63年) 沖縄県副知事に就任。

副知事退任後に、沖縄県知事選挙に立候補しましたが、落選。

その夢は弟の雄志に受け継がれることになりました。

 

次男

翁長 雄治(おなが たけはる)

那覇市議会議員(現職)

年齢 2018年8月現在、31歳
出身地 沖縄県那覇市
高校 興南高校
大学 国際武道大学卒業

翁長雄志さんには、男2人・女2人の4人のお子さんがいらっしゃいますが、会社員だった次男の雄治氏が2017年の那覇市長選挙に立候補します。

親子3代で政治の道を志し、無所属でも多くの支持を集め、全体の2位で当選を果たしました。

奥様と3人の男の子がいらっしゃいます。

 

沖縄県知事への道

父の選挙運動を身近で見てきた雄志少年は、いつしか那覇市長になることが目標だったといいます。

翁長雄志さんが生まれた1950年は、戦後間もないころで、沖縄はアメリカ軍統治下に置かれていました。

沖縄はもともと革新が強く、翁長家は代々保守政治家でしたので、子どものころから、それを理由に嫌がらせを受けることもあったといいます。

 

父親が立法院議員選挙で落選した時などは、担任の先生が対立候補を応援しており、対立候補の当選を万歳三唱をして喜んでいる姿を目の当たりにして、複雑な思いだったそうです。

 

地元の名門、那覇高校から兄の母校でもある法政大学を卒業。

卒業後は沖縄に戻り、建設会社に勤務していました。

 

そして、ついに名門政治一家の跡を継ぐべく政治家への道を歩むことを決意します。

1985年(昭和60年) 34歳で那覇市議選挙に出馬して当選を果たします。

1989年(昭和64年)に再選されて、2期務めます。

1992年(平成4年) 41歳で兄・助裕の地盤を引き継ぎ、沖縄県議会議員選挙に出馬。

初当選を果たして、1996年(平成8年)にも再選されて2期を務めました。

2000年(平成12年) 子どものころに夢に見た那覇市長選挙に出馬。

見事に当選を果たし、第28代那覇市長に就任します。

その後、4期14年にわたって第29~31代 那覇市長を務めるという長期政権でした。

 

2014年(平成26年)  沖縄県知事選挙に出馬するために、那覇市長を辞職。

見事に当選を果たし、12月10日 第7代沖縄県知事に就任しました。

 

翁長雄志の死因

2018年(平成30年)5月15日に、ステージ2のすい臓がんで、手術を受けていたことを公表していました。

公務復帰と、今年行われる予定の県知事選を目指して、治療を続けていましたが、先月30日に入院し、その後、急速に体調が悪化したということです。

入院後、ガンが肝臓に転移していることが明らかになり、8月7日には意思決定に支障が出てきていたそうです。

 

8月8日 謝花喜一郎副知事、富川盛武副知事が職務代理を務めることを発表した直後の、18時43分、浦添市の浦添総合病院で亡くなりました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

翁長雄志は保守?左派?

翁長雄志さんの政治的な主張は、沖縄のみならず日本全国でも大きな注目を集め、支持をする人としない人に真っ二つという様相でした。

翁長雄志さん自身は「自分は沖縄の保守派」と名乗り、右派からは「左派」と呼ばれ、

「沖縄のために、反基地運動に命を懸けた」

とも

「中国に沖縄を売ろうとした売国奴」

とも言われていました。

 

ここでは、その論争は避けますが

那覇市議、沖縄県議、那覇市長時代の1985年~2014年は、自民党に所属し、自民党県連幹事長も務めていた事実があります。

このころの翁長雄志さんは、辺野古移設に賛成し、辺野古移設推進決議案を可決させた中心的な人物でした。

ある自民党議員によると

「この頃の翁長さんは、自衛隊の支援活動をする沖縄県防衛協会の青年部会長を務める等、自民党の中でも特に保守色が強い存在でした。

1993年に糸満市で開かれた全国植樹祭に出席する為、天皇皇后両陸下が訪沖された際には、訪問反対の運動が盛り上がる中、翁長氏は日の丸の旗を振って、万歳をして歓迎してみせたのです」

 

沖縄県知事に立候補したころから、まるで180度主張を変えて、反自民となり、野党、特に共産党とのつながりを強めていったことは間違いありません。

 

沖縄県知事選挙はいつ?

翁長雄志さんが亡くなって知事が不在となったことで、2018年11月18日に予定されていた県知事選挙が前倒しで実施されることになります。

公職選挙法では、

知事が亡くなった場合、5日以内に職務代理者(副知事)が選挙管理委員会に通知。

通知から50日以内に選挙を実施する。

 

8月8日に亡くなったので、8月13日までに通知。

そこから最大50日間となると、10月2日がリミットとなります。

翁長陣営の「オール沖縄」としては、後継者選びに時間が欲しいところでしょうから、早急に知事選を行うとは考えにくいところです。

9月30日が日曜日ですので、おそらくはこの日が知事選挙となるのではないでしょうか。

 

「オール沖縄」では、ガン発覚後、翁長雄志さんの体調が再選には厳しいことを承知の上で、「基地反対」を前面に出して戦えるのはやはり翁長雄志さんしかいないと言われていて、候補者擁立は先が見えていません。

「翁長知事の遺志を継いだ弔い合戦」という訴え方で支持を増やす可能性はありますが、果たして候補者は誰になるのでしょうか?

 

一方、県政奪還を狙う自民党・公明党連立政権は、

シンバホールディングス会長の安里繁信氏(48)

 

佐喜真淳宜野湾市長(53)

で保守分裂の危機が叫ばれていました。

しかし、ここにきては佐喜真淳宜野湾市長に一本化して、自民、公明、維新の共闘がほぼ決定的と言われています。

直近の沖縄県内の選挙では、「オール沖縄」の連敗が続いていますが、どうなるのでしょうか。

 

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