栗城史多死去【疑惑の登山家の真実】エベレスト8度目の挑戦の末に

5月21日朝、登山家の栗城史多さんがエベレストのキャンプ2で死亡していると確認されました。

栗城史多さんは、過去に7度エベレスト登頂を目指しながら失敗に終わり、今回は8度目の挑戦をしていました。

栗城についてのご報告

2018/5/21 15:13

栗城事務所の小林と申します。

このようなお知らせになり大変申し訳ございませんが、
エベレストで下山途中の栗城が遺体となり発見されました。

下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、
暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことから
キャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、
先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました。

生きて帰ることを誓っておりましたのに、
このような結果になり大変申し訳ございません。

生きて帰るため執着しないと誓っておりましたのに、
最後に執着してしまったのかもしれません。

皆様へのご報告が遅くなりなりましたこと、
心よりお詫び申し上げます。

何m地点で発見されたかなど
これ以上の詳細が日本でわからず大変恐縮ですが、
またわかり次第お知らせ申し上げます。

これまで栗城を応援していただき、本当にありがとうございました。

栗城事務所  小林幸子

 

21日は当初の予定では山頂へのアタックの日。

AbemaTVで21日16時から『生中継! 9本の指を失った登山家・栗城史多のエベレスト8度目の挑戦』が放送予定でした。

21日朝、栗城史多はブログで「下山します」とのタイトルで投稿。

下山します

2018/5/21 10:01

(栗城中継班より)

栗城は体調が悪く、7400m地点から下山することになりました。

今後の行動は未定で、栗城が無事に下山して状況がわかり次第、お知らせいたします。

皆様からの応援、本当にありがとうございます。

登山は登頂を断念して下山する勇気が大事だといいます。

勇気ある下山をしていた途中で息絶えたようです。

 

栗城史多・最後の動画

ベースキャンプ出発

キャンプ2からの無線

キャンプ3からの無線・最後の肉声

 

栗城 史多(くりき のぶかず)

生年月日 1982年(昭和57年)6月9日
没年月日 2018年(平成30年)5月21日
没年齢 35歳
出身地 北海道瀬棚郡今金町
高校 北海道檜山北高等学校
大学 札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業
肩書き 株式会社たお代表取締役

 

ニートのアルピニスト

「ニートのアルピニスト」として一躍有名になった栗城史多さん。

実は「元ニート」「元引きこもり」というのはマスコミ向けのキャッチで会って、実際にニートや引きこもりだったという事実はないようです。

 

主な登頂の記録

2004年6月12日. マッキンリー(北米最高峰 標高6,194m)登頂
2005年1月. アコンカグア(南米最高峰 6,959m)登頂
2005年6月. エルブルース(ヨーロッパ最高峰 5,642m)登頂
2005年10月. キリマンジャロ(アフリカ最高峰 5,895m)登頂
2006年10月. カルステンツ・ピラミッド(オセアニア最高峰 4,884m)登頂
2007年5月. チョ・オユー(世界第6位高峰 8,201m)登頂
2007年12月. ビンソンマシフ(南極大陸最高峰 4,892m)登頂
2009年5月. ダウラギリ(世界第8位高峰 8,167m)登頂

 

エベレストへのチャレンジ

順調に登頂を重ねてきた栗城史多さんですが、世界最高峰のエベレストへの単独無酸素登頂に挑戦すること7回。

今回は8度目のチャレンジでした。

1度目

2009年9月 チョモランマ・北稜北壁メスナールート

7,950m地点で下山。

 

2度目

2010年8月 南東稜ノーマルルート

7,750m地点で下山。

この挑戦で、シェルパが1人が亡くなっています。

 

3度目

2011年8月 南東稜ノーマルルート

頂上アタックのために、7800m地点に埋めておいた食料をキバシガラスに荒らされたため下山と発表しています。

同行したカメラマン・木野広明氏が、くも膜下出血で亡くなっています。

 

4度目

2012年8月 西稜ルート

7700m地点で下山。

この挑戦では、6400m地点で人差し指が凍傷になっていたにもかかわらず下山せずに続行。

凍傷が悪化して下山を余儀なくされましたが、下山後に凍傷が悪化し両手指10本のうち9本を切断せざるを得ませんでした。

 

5度目

2015年8月 南東稜ノーマルルート

サウスコル付近で下山。

 

6度目

2016年9月 これまでの失敗から登頂ルートを大きく変更。

中国側グレート・クーロワールをアドバンス・ベースキャンプから氷河を登りつめ、傾斜の緩い壁に入り、そこからダイレクトに山頂を目指しましたが、7400m地点で下山。

思った以上に風と雪が多かったことが原因と発表しています。

 

7度目

2017年5月 中国側からエベレスト北壁に挑む予定でしたが、ネパール側ノーマルルートからチャレンジ。

6800m地点で下山。

 

8度目

2018年5月21日に山頂へチャレンジする予定でしたが、下山中に死亡が確認されました。

ついに、その夢は果たされないままに終わりました。

 

疑惑の登山家・栗城史多への批判

大きな話題となっている反面、そのチャレンジは批判の的でもありました。

7大陸最高峰への単独無酸素登頂というのが栗城史多の大きな目標でした。

 

しかし、7大陸最高峰で、酸素ボンベが必要なのはエベレストだけ。

他の6峰では酸素ボンベを必要とはしないので、この表現はおかしいと批判を受けていました。

 

単独登頂とは

明確な定義は定まっていませんが、概ね次のように考えられています。

・登山の行程の全てを一人で行う

・初登頂者のベースキャンプを基準にしてベースキャンプより上で他者からのサポートを受けない

・あらかじめ設営されたキャンプ、固定ロープ、ハシゴ等も使わずに登る

 

栗城史多さんの単独登頂

「ベースキャンプから自らの荷物を全て背負い登頂すること」と解釈をしていたようです。

したがって

・他の登山隊が設置した固定ロープやハシゴ等を使って登る

・大規模なサポート隊を編成する

・シェルパが固定ロープ設置などのルート工作やキャンプ設営を行う

・無線により気象情報や行動計画などのサポートを受ける

 

このような登山を単独登頂とは呼べないと批判されていました。

最後の挑戦となった今回のアタックも、「単独無酸素」としていましたが、シェルパ4人が同行していることが確認されています。

 

また、ネットで登山の様子を動画配信して話題を集めていましたが、この動画も単独で行動しているかのようなアングルを工夫して撮影されていると批判を受けていました。

 

過去に登頂に成功したルートのほとんどが、登山客が多いハイシーズンのノーマルルートであったために、先行者が雪を踏み固めて登頂しやすい環境であったこと

 

登山に際して現地人ガイド添付が義務付けられているキリマンジャロにおいても単独登頂を達成したとしていることも不自然であるといわれています。

 

無酸素登頂

その名の通り「酸素ボンベ」を使用しないで登ることです。

栗城史多さんは、シェルパに酸素ボンベをもって登らせて、1つ下のキャンプに酸素ボンベを用意して待機させており、必要に応じて酸素ボンベを持って救助に行けるようにしていました。

 

参考までに、日本人の無酸素でのエベレスト初登頂は1983年の川村晴一氏。

2010年までに7名が成功し、世界的には記録に残っている1978年~1995年で延べ70名が達成しています。

 

登山の専門誌『山と渓谷』は

栗城史多さんの「単独無酸素登頂」について、「その言葉に値しない」と否定しています。

 

凍傷で指を9本失った原因

栗城史多さんがその名を登山に興味のない人たちの間にも有名になったのは皮肉にも、4度目のエベレスト登山のときに9本の指を凍傷で失ったこと。

このときには、黒くなった指に衝撃を受けた人たちも多かったと思います。

エベレスト登山の怖さを世に知らしめたのですが、その後指摘されたのが、栗城史多さんが使用していた手袋。

 

なんと、指が外に露出している穴あき手袋をはめて、スマートフォンで撮影している画像が批判の的になりました。

8000mに近い高地で、指が外気に直接触れるような手袋をなぜ使っていたのか。

スマートフォンを使いたかったことが原因とされました。

私も素人ながら、その批判が起こる前から

「なぜこんな手袋を使うんだろう?」と不思議に思った記憶があります。

 

しかし、それもあくまでもネット上での噂です。

本当に凍傷になるまで穴あき手袋を使い付けていたのかどうかは本人にしかわかりません。

栗城史多さんに対して批判的な人たちが、たまたま穴あき手袋をしている写真を見つけて批判の材料に使ったという説もあります。

 

それでも支持された栗城史多さん

様々な批判にさらされながらも多くの人に支持されたことも事実です。

それは彼が、目標を明確にして、その達成を目指して行動を起こしていること。

指を9本も失いながらも、チャレンジを続けた姿勢が、人々の共感を生んだのでしょう。

いろいろあるらしいけど、人間として面白いから応援しよう。

そんな支援者に囲まれてのチャレンジだったのでしょう。

 

少なくとも普通の人出は出来ないことにチャレンジし続けたことは事実です。

ご冥福をお祈り申し上げます。


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