インドネシア・エアアジア8501便墜落事故【トニー・フェルナンデスが再建】

急成長したLCCの雄・エアアジアで起きた墜落事故。

最新のコンピューターシステムがなぜ機能しなかったのか?

その謎に迫ります。

また、経営破綻状態だった航空会社を再建させた男の手腕とは。

インドネシア・エアアジア8501便墜落事故

2014年12月28日AM5時35分

定刻より15分遅れて、インドネシア・ジュアンダ国際空港を離陸したインドネシア・エアアジア8501便 (QZ8501/AWQ8501)

シンガポール・チャンギ国際空港へ向けてフライトでしたが、AM6時17分に消息を絶ちました。

機長はインドネシア人で、総飛行時間は 2万537時間。

副操縦士はフランス人で、総飛行時間は 2275時間でした。

 

6時12分

高度3万2000フィート(約1万m)で、パイロットは、「嵐を避けるため高度を3万8000フィートに上げたい」と管制官に伝えます。

当日の飛行空域には、厚さ5~10kmもの大型の積乱雲があり、激しい雷雨に見舞われていました。

 

管制官との交信からわずか5分後。

8501便との交信が途絶え、航空レーダーから消えました。

墜落現場は、 インドネシア・ジャワ海カリマタ海峡

当時はこの悪天候が事故の原因とする見方がありましたが、同じ空域を何の問題もなく飛行していた飛行機もあり、後に悪天候説は否定されています。

 

事故原因

事故から1年後、インドネシア国家運輸安全委員会は最終調査報告書を発表しました。

その報告書によると

尾翼にある方向蛇(ラダー)の作動を制限するラダーリミッター。

その動作を制御する電子部品のハンダづけの部分にできた亀裂が主な原因とされました。

 

この電子回路の不具合により、機体をモニタリングするエアバスの最新式のコンピューターシステムであるECAMから、4回にわたって警報が発せられました。

この警報に対処しようとした過程で、オートパイロット(自動操縦装置)と、失速防止装置が解除されたことが直接の原因なのですが、これがシステム上の問題なのか、パイロットの操作ミスなのか、報道によってその解釈が異なるようです。

 

メーカーであるエアバス側からすれば、ハンダ付の亀裂を見逃した整備不良。

実は、同様の不具合が事故前の1年間で23回も起こっていたことが後に判明しています。

 

その場合、システムを再起動させることが解決法とされていました。

報告書でも、機体そのものの原因ではないとされています。

 

問題はなぜ、オートパイロットと、失速防止装置が解除されたのか。

結論としては、コンピューターシステムのサーキット・ブレーカーによって回路を遮断してしまったようです。

 

サーキット・ブレーカーとは、電子回路に過電流が流れた場合などに回路を守るために遮断するための装置で、この操作によって、オートパイロットと失速防止装置が解除されたようです。

では、なぜサーキットブレーカーで遮断したのか。

 

これは、再起動がうまくいかず何度も警報が鳴るために、警報を止めるためだったという説と、誤って触れてしまったという説があります。

自動操縦が解除された場合、当然パイロットが手動で操縦するのですが、機体を制御できずにロールし始めます。

 

このとき、経験の少ない副操縦士が操縦かんを握っており、機体を立て直すために機長が操縦すべきでした。

ところが、なぜかそこで9秒間の空白が生じています。

 

機体が失速し、失速警報が鳴り始めたとき、まだ墜落を回避する可能性は残っていたと思われますが、最期の局面で機長と副操縦士がお互いに反した行動をとってしまいました。

失速から回復させようとして、機長は操縦桿を押し下げます。

 

しかし、副操縦士は機長とは逆に、操縦桿を引いて機体を上昇させようとしていました。

二人が別の操作をしたことで、機体は失速状態から回復することが出来ず、そのまま海面に向かって墜落したのです。

 

つまり、はんだ付けの亀裂という小さな不具合が発端となっていますが、その後に何回も警報が発せられながら原因の根本的な排除が出来なかった整備ミス。

そして、オートパイロットを切断した判断ミス。

機長と副操縦士が別の操作をするという操作ミス。

いくつものヒューマンエラーが重なった末の事故であったといえるでしょう。

 

乗客・乗員は次の通りです。

乗客数 155人
乗員数 7人
死者数 162人(全員)
生存者数 0人

乗客数、155名のうち、子どもが16名、乳児が1名。

国籍別では、

インドネシア 149名
韓国 3名
フランス 1名
マレーシア 1名
シンガポール 1名
イギリス 1名

乗員は、7名。操縦士が2名、客室乗務員が4名、技術者が1名でした。

 

補償金は1人1500万円

事故機は海面に激突して破壊され、残骸が10km四方の海面と海底に散乱。

インドネシア国家捜索救助庁、シンガポール空軍・海軍などによる捜索によって、2015年3月22日に捜索が打ち切られるまでに、162名の乗客・乗員のうち、106名の遺体を確認。56名の遺体が行方不明のままです。

また、106名の遺体のうち、身元が確認できたものは97名だそうです。

エアアジアは補償金として、1人当たり約12万5000ドル(約1500万円)を支払うことを決定しました。

※内訳は、2万4000ドルが見舞金、10万1000ドルが補償金。

 

補償金が、1500万円ですか。。。

もちろん命はお金に換えられないので、金額の問題ではないでしょうが意外なほどに低い金額だと感じます。

モントリオール条約によると、航空会社の責任として、一人あたり約17万4000ドルが補償額の最低額とされています。

 

しかし、インドネシアはモントリオール条約の批准国ではなく、インドネシア運輸省の規定によると、1人当たり9万8000ドルを航空機での死亡事故の補償金支給額と定めています。

 

エアアジア

インドネシアのLCC(低コスト航空会社)

創業時は、マレーシア政府系重工業会社DRB-ハイコム傘下にありましたが、業績の低迷により1100万USドル(約12億円)の負債を抱えて、経営破綻状態に陥ってしまいます。

2001年 トニー・フェルナンデスが、わずか1リンギット(約30円)で買い取り、格安運賃を売りに経営再建を果たし、2003年に黒字化しました。

 

保有する航空機は

エアバスA320-216 72機(180席)
エアバスA320-251neo 8機(186席)
(2017年時点)

 

グループ航空会社

黒字化した2003年からアジア各国にグループ会社を設立し、経営拡張を続けています。

日本でもエアアジア・ジャパンが2014年に設立されています。

タイ・エアアジア
インドネシア・エアアジア
エアアジア X
タイ・エアアジア X
インドネシア・エアアジア X
エアアジア・フィリピン
エアアジア・インディア
エアアジア・ジャパン

 

トニー・フェルナンデス

生年月日 1964年4月30日生
年齢 2018年5月現在、54歳
出身地 マレーシア・クアラルンプール

インドのゴア人の父親と、マラッカのポルトガル人の母親の間に生まれました。

親も優秀なビジネスマンで、幼いころから英才教育を受けて育ちます。

 

日本でいう中学から高校にかけて、イギリスのエプソム・カレッジに留学。

その後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業して、ビジネスマンとしての基礎を学びます。

 

ヴァージン・アトランティック航空の監査役として働いた後に、マレーシアに帰国。

ワーナーミュージックマレーシア社の、史上最年少マネージング・ディレクターとして注目を集め、東南アジア地区担当副社長にまで出世します。

 

しかし、ビジネスマンとして起業するために退職し、2001年10月、マレーシアのマハティール首相(当時)が、経営破綻状態にあったエアアジアの存続のために、トニーに買収を勧めました。

 

有名な1リンギット(約30円)での買収はこうして成立しましたが、タダ同然とはいえ、経営破綻と多額の負債を抱えたエアアジア。

トニーは私財をつぎ込み、自宅を抵当に入れて運転資金を借り入れての買収でした。

 

当時は、アメリカ同時多発テロ事件の起きた直後

誰もが「トニーはバカだ。エアアジアはほどなく倒産する」と噂する中で、業績が急回復し、買収からわずか1年後には負債を完済し、2年後から黒字化するという離れ業をやってのけたのです。

 

なぜトニーはエアアジアを再建できたのか?

アメリカ同時多発テロ事件の起きた直後という、航空業界にとって最悪の時期でしたが、それが逆に幸いしたといえます。

 

飛行機のリース料は下がり続けて、ついに40 %ものディスカウント。

多くの航空会社が業績不振で、リストラされた技術者やパイロットなど、有能な社員が低賃金で雇用することが出来ました。

 

航空業界全体が逆風の中であったことが

「買収のタイミングはパーフェクトだった」

ということになったのです。

 

そして、エアアジアの成功から、他の業界にもビジネスを拡大していきます。

2007年 クアラルンプールに格安ホテルチェーンのチューン・ホテルズを開業。

2010年 F1世界選手権よりF1に参入したマレーシアのロータス・レーシングを買収。

※2014年7月に成績不振が続く中で売却。

2011年 サッカー・イングランド・プレミアリーグのクイーンズ・パーク・レンジャーズを買収。

 

様々な功績から受勲された勲章もスゴイ。

2010年5月 レジオンドヌール勲章

2011年2月 大英帝国勲章(第3位のコマンダー)

 

オリンピックメダリストに搭乗無料券

2016年 リオデジャネイロ五輪

インドネシア選手だけではなくASEAN圏内のメダリストへのボーナスを公表します。

金メダル 生涯有効の無料搭乗券
銀メダル 5年間有効の無料搭乗券
銅メダル 2年間有効の無料搭乗券

競泳男子100mバタフライで金メダルを獲得した、シンガポールのジョセフ・スクーリング(21)選手ら6名に贈られました。


PAGE TOP