津川雅彦の生い立ち・死因【保守論客としても】昭和の名優逝く

俳優の津川雅彦さんが2018年8月4日17時45分に亡くなっていたことが分かりました。

津川雅彦さんといえば「マルサの女」など映画やドラマで人気の名俳優であるとともに、政治的な発言でも注目される文化人でもありました。

奥様である朝丘雪路さん(享年82)が亡くなった際の会見が、最後に姿を現した公の場となりました。

昨年秋から肺炎を患い、最後の会見も鼻にチューブを入れた状態で、体調が心配されていました。

昭和の名優がまた一人、天に召されました。

津川 雅彦(つがわ まさひこ)

本名 加藤 雅彦(かとう まさひこ)
別名義 マキノ 雅彦(マキノ まさひこ)
※映画監督の際に名乗る
生年月日 1940年(昭和15年)1月2日
没年月日 2018年(平成30年)8月4日
没年齢 78歳
出身地 京都府京都市中京区
身長 171cm
血液型 O型
事務所 グランパパプロダクション

 

津川雅彦の生い立ち・学歴

芸能一家に生まれ、子役として数本の映画に出演していた津川雅彦さん。

中学は、京都の洛星中学校

京都市北区小松原南町33番地

1952年設立の、中高一貫教育を行う完全中高一貫校のカトリック系私立男子校です。

1940年生まれの津川雅彦さんは、年齢から考えて創立時の1期生ではないかと思われます。

 

しかし、中学2年生の時に落第してしまったといいます。

原因は、映画監督の溝口健二監督の勧めで、撮影所の見学に連日のように通い詰めてしまったこと。

この落第が原因で洛星中学校を退学し、同志社中学に転校。

中学2年をもう一度やり直したそうです。

 

同志社中学卒業後は、そのまま系列の同志社高校に入学。

その後、一家で東京に引っ越しをしたのを機に1956年、早稲田大学高等学院に編入します。

このころは、俳優よりも新聞記者になりたいと考えていて、父親から「新聞記者になりたいなら早稲田へ行け」と言われたからだそうです。

 

しかし皮肉にも、早稲田高等学院に入学後に石原慎太郎に見いだされ、映画「狂った果実」に石原裕次郎の弟役として出演。

本人は、「夏休み中だし、出演してもいいかな」という軽い気持ちだったそうです。

その後、「夏の嵐」「孤独の人」「十七才の抵抗」「今日のいのち」などに出演。

人気俳優としての地位を確立します。

 

1958年に、所属の日活を退社して松竹に移籍しますが、これが新人の引き抜きとして大問題となり、早稲田高等学院を中退します。

その後、明治大学中野高校へ移り、卒業しています。

高校を3校も渡り歩いたのですね。

 

時代は違いますが、3校の現在の偏差値は

同志社 71
早稲田高等学院 75
明治大学中野 69

どこも名門校ですね~。

 

明治大学中野高校を卒業後

文化学院短期大学へ入学し、卒業まで俳優と両立していました。

 

芸名の名付け親は石原慎太郎

津川雅彦の芸名は、石原慎太郎が映画『狂った果実』に、出演を推薦した際に名付けました。

石原慎太郎の小説「太陽の季節」のメインキャラクター「津川竜哉」からだそうです。

 

津川雅彦の華麗なる映画・芸能一族

祖父
牧野 省三(マキノ ショウゾウ)

生年月日 1878年(明治11年)9月22日
没年月日 1929年(昭和4年)7月25日
没年齢 50歳

津川雅彦さんの母方の祖父で、日本を代表する映画芸能一家である「マキノ家」の祖として知られます。

日本最初の職業的映画監督で、「日本映画の父」と呼ばれました。

 

父親

澤村國太郎(さわむら くにたろう)

本名 加藤友一
屋号 紀伊国屋
出身地 東京都台東区浅草
生年月日 1905年(明治38年)6月1日
没年月日 1974年(昭和49年)11月26日
没年齢 69歳

父も歌舞伎役者の竹芝傳蔵。

歌舞伎役者から映画俳優に転身した戦前の大スターです。

 

母親

マキノ智子(まきの ともこ)

本名 牧野 恵美子 (まきの えみこ)
生年月日 1907年(明治40年)1月29日
没年月日 1984年(昭和59年)10月20日
没年齢 77歳
出身地 京都府京都市

父・牧野省三の映画の子役から女優となり、大スターとなりました。

澤村國太郎との結婚前には、妻子ある月形龍之介と不倫の末に駆け落ちし、女の子を出産しています。

情熱的な家系なのですね~。

 

長門 裕之(ながと ひろゆき)

本名 加藤 晃夫(かとう あきお)
生年月日 1934年(昭和9年)1月10日
没年月日 2011年(平成23年)5月21日
没年齢 77歳
出身地 京都府京都市中京区

言わずと知れた昭和の名優。

妻は南田洋子さん。

 

朝丘 雪路(あさおか ゆきじ)

本名 加藤 雪会(かとう ゆきえ)
旧姓:勝田
生年月日 1935年(昭和10年)7月23日
没年月日 2018年(平成30年)4月27日
没年齢 82歳
出身地 東京都中央区築地

元宝塚歌劇団月組娘役の人気女優。

1973年に結婚し、45年間連れ添ったオシドリ夫婦でした。

アルツハイマー型認知症を患い、2018年4月27日に亡くなりました。

会見での津川雅彦さんの

「僕が先に死んで、彼女を残すよりは、いい結果になりましたよね」

との発言が一部で物議を呼びました。

 

しかし、その真意は献身的な介護をしてきた津川さんの雪路さんへの最大限の愛情を現した言葉でした。

 

真由子(まゆこ)

本名 加藤 真由子(かとう まゆこ)
生年月日 1974年(昭和49年)3月18日
年齢 2018年8月現在、44歳
出身地 東京
血液型 O型

女優として活動しています。

実は、真由子さんは誘拐事件に巻き込まれたことがあります。

 

長女誘拐事件

1974年8月15日

自宅2階から生後5カ月の真由子さんが誘拐されました。

身代金500万円が要求され、警察の指示に従って、第一勧業銀行(現:みずほ銀行)の偽名口座に150万円を指定の口座に振り込みます。

その後、現金の引き出そうとした犯人を、張り込み刑事が身柄を確保し、逮捕。

真由子さんは、誘拐発生から41時間ぶりに、千葉県我孫子市のアパートで発見され保護されました。

 

犯人は、23歳の男性。

懲役12年6カ月の判決を受けています。

 

津川雅彦の死因

発表によると、津川雅彦さんの死因は、心不全とのこと。

肺炎を患い、酸素吸入を受けていたことから、突発的なものではなく、闘病の末の大往生ということなのでしょう。

 

改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。

 

保守論客・津川雅彦

俳優、映画監督としてだけではなく、近年では保守論客としても活躍していた津川雅彦さん。

中でも、北朝鮮による拉致被害について、被害者の早期救出を強く訴えていました。

安倍晋三首相とも親交があり、政権批判を繰り返す朝日新聞を筆頭とする大手マスコミともたびたびバトルを繰り返していました。

個人的には、津川雅彦さんの主張は、若干右寄りに傾き過激な発言も目立ったものの、非常に筋の通った主張で、納得できるものが多かったという印象を持っています。

「みんなで靖国神社に参拝する会」「首相の靖国参拝を求める国民の会」の発起人でもありました。

最近の保守系とメディアの対立構図は、かつての「保守=権力」を監視するメディアで、文化人は基本的に反体制側でメディアと共闘していました。

現在では、ネットによる情報が大手メディアを凌駕するようになり、メディアに対して批判的な一般人が増えています。

津川雅彦さんは、長女誘拐事件の際に東京新聞が事件について、「長女の誕生を自分の宣伝に利用したことも原因の1つ」と報じたことから対立し、メディアの報道に関して疑問を感じるようになったそうです。

 

ネットでの悼む声


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