大和龍門の借金地獄【薬物中毒から立ち直る】武士道はエンターテイメント

TBSのテレビ番組「ガチンコ!」のシリーズ、B-BOP予備校と大検ハイスクールの名物講師・大和龍門さんを覚えていますか?

番組が終わって、もうすぐ15年。

テレビで見かけることもめっきりなくなってしまった現在、どこで何をしているのでしょうか?

 

大和 龍門(やまと りゅうもん)

本名 非公開
愛称 シショー
生年月日 1956年(昭和31年)11月26日
年齢 2018年6月現在、61歳
出身地 鹿児島県
血液型 A型

一刀棒家元・闘剣創始者・居合道教士七段

 

父は、日本居合道連盟理事長という家庭に生まれた大和龍門。

3歳で真剣を握り、居合道へ入門。

4歳で鹿児島大道館で剣道を始めます。

 

中学校時代は剣道に没頭して大将として、数々の大会で優勝するなど、鹿児島県内でも有名な剣士だったようです。

10代から20代は、迷い、挫折、中途半端を繰り返します。

 

1991年 サンフランシスコで木剣パフォーマンスで、5000人の観衆を集め注目を集めます。

外交官、弁護士、医師他、各界著名人を中心に大和クラブを創設。

マンツーマン方式でスタートし、現在の無双館の前身であり基盤となったエグゼクティブ居合道クラブだったそうです。

 

1997年 大和クラブを「無双庵」(後の無双館)として道場を立ち上げました。

視覚障害者と10カ国以上の外国人をメインに指導し、袋竹刀での実戦居合道「禅刀道」を創設。

1998年 ノックアウト剣道「闘剣」を創設。

2013年 無刀居合道・一刀棒の宗主となる。

 

ガチンコ!に出演

そんな武道家としての大和龍門に大きな転機が訪れます。

1999年4月

TBSのバラエティ番組「ガチンコ!」に出演が決定!

 

大検ハイスクール

全寮制で大学検定資格試験合格を目指すという企画でしたが、参加者は一癖も二癖もある不良少年たちが多く、学習の様子よりも担任である大和龍門との衝突がメインストーリーとなりました。

最終的には全員が大検に不合格となります。

 

BE-BOP予備校

大検ハイスクールに続いて、短期間で大学合格を目指すという企画。

こちらも大和龍門と生徒との衝突がすさまじく、大和龍門の人権無視の問題発言が話題となりました。

最終的には3名が合格を果たして終了しています。

大和龍門は反抗する生徒たちに向かって凄まじい迫力で放つ名言(迷言)の数々。

「お前らホームラン級の馬鹿だな!」

「『いただきます』が言えなかったらよ、メシ喰うな」

「お前ら喧嘩しろ!」

「お前らみたいなクズが大学行くっつーのは漫画だよ!」

「全員志望校1本だよ!滑り止めなし!」

「真ちゃん、これでもう逃げ場はねぇぞ!」

 

やらせ疑惑

賛否両論あった番組でしたが、出演する若者たちのあまりの反抗的な態度には、当時の大和龍門さんも疑問を感じていたそうです。

番組のスタッフからは「挨拶を徹底的に教え込んでほしい」と指示されただけだったのが、あまりに反抗的な態度を繰り返すため、

「あいつらは『とことん反発してくれ』って言われていたかも。」

「お前らスタッフから何か言われてんのか?」

と違和感を覚えていたようです。

 

収入激減~借金地獄

「ガチンコ」の出演によって、大和龍門の知名度は上がったものの、道場の運営に関わる時間が無くなってしまった。

そのため、本業であるはずの道場経営が傾きます。

 

入門者が激減し、収入もそれに比例して激減。

「ガチンコ」の収録現場と道場をハイヤーで往復していたために、その費用が月に300万円だったとか。

それは局の負担ではなかったのですね。

 

道場の運営には、家賃、光熱費、人件費などの固定費が毎月重くのしかかり、ついに借金の額は3000万円にまで膨れ上がってしまいました。

 

2013年 ついに、無双館道場をたたむことを決意します。

その後、新たな道場を立ち上げようと、トラック配送のアルバイトをしていました。

 

大和龍門の目指すのはエンターテイメント

日本居合道連盟理事長を務める父は、厳格な武道家でした。

そんな父親とは違って、大和龍門の夢は

「剣一本でプール付きの豪邸に住みたい」

 

大和にとっての武道は、ロックンローラーのギター、俳優の演技と同じ、自分を表現するエンターテイメントだったのです。

「ガチンコ」に出演したきっかけも、自分の武道や道場を世間に広めたいという思いからでした。

 

無双館を諦めたのは確かに収入が激減したことも大きな理由ですが、

「稽古を繰り返して鍛錬を積む事によって、どんどん真っ当な武道家になってて。

そうじゃねぇだろと。

なんで俺が武道を始めたのか?」

 

父親のような武道家になりたかったわけではないという自分本来の姿に気が付いたことが大きな理由でした。

「50代も後半に差し掛かった時に、自分の人生を振り返ったんだよ。

『武道家でもプール付きの豪邸に住みたい』っていう想いが原点だって思い出したんだ」

 

無双館をたたんた後は、野稽古を行いながら様々な構想を練っていました。

ちなみに、野稽古というとこんな感じ。

2015年 59歳

ガチンコが完全に終了したのが2003年7月。

その後、居合道などのDVDを出していましたが、テレビからは姿を消しています。

あえていえば、

2008年 「アグレッシブですけど、何か?」(テレビ広島)

くらいでしょうか。

 

そんな中で大和龍門の頭にあったのが

「インターネット道場をやりたい。」

インターネットを利用して道場を持ち歩く。

大和龍門の言葉を借りると「道場をダウンロードする」

「俺は野稽古やってるから、アフリカだろうが中南米だろうがいつでもどこでもやれるというのがメリット」

そんな構想の中から、タオルを活用したフィットネスを開発します。

ガッツネス



ネーミングがいかにも大和さんらしい。。。

 

ちなみに、講演活動も行っており、講演料は100万円

なかなかいい値段を取りますね。。。

 

今後の目標

最終的には、武士道によるエンターテイメントを追求し

武士道でパリコレ、ミラノコレクション、ニューヨークコレクションとか、そういったファッションとのコラボレーションをやろうと考えているようです。

実現した時には大和龍門の武士道が、世界に発信されるということになるのでしょうね。

まだまだ壮大な夢は終わりません。

 

薬物中毒を乗り越えて

実は大和龍門さん、一時期、薬物中毒にかかったことがあるというのです。

一体何があったのでしょうか?

 

28歳 まだ苦悩と挫折の多かった時代のこと。

頭を大ケガを負い、救急車で運ばれます。

一歩間違えば命の危険性もあったという大けがで、本人も怪我した時に、「これは死ぬな」と思ったといいます。

一命をとりとめたものの、いつも頭がフラフラしたような状態が1年近くも続いたそうです。

そして、追い詰められた末に、薬物中毒に陥ってしまったのです。

 

この薬物中毒から大和龍門はどのようにして立ち直ったのでしょうか?

「もう、のたうち回って。

どうにか苦しみから逃れるために、

そこらへんにあった棒切れを掴んでガムシャラに素振りしてたら、しっくりきたんだよ」

 

そう、つまり無我夢中で棒きれを竹刀に見立てて素振りを続けたのだそうです。

幼いころから打ち込んだ剣道が、薬物中毒から救ってくれたのです。


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