カルロス・トシキの現在【妻、子ども】ブラジルのニンニクで大成功

大ヒット曲「君は1000%」で知られるオメガトライブのボーカルだったカルロス・トシキ。

オメガトライブ解散後、ソロ活動をしていましたが、いつの間にか帰国して過去の人となっていましたが、復活ライブで人気を集めています。

カルロスは、帰国をしてブラジルで何をやっていたのか?

そして、奥様は?子どもは?

徹底調査してみました。

カルロス・トシキ

本名 カルロス・トシキ・タカハシ
高橋 カルロス 敏樹
別名 CARLOS、鷹橋 敏輝(たかはし としき)
生年月日 1964年(昭和39年)4月7日
出身地 ブラジル・パラナ州 マリンガ
年齢 2018年3月現在、53歳
国籍 日系ブラジル人
血液型 O型
レーベル EMIミュージックジャパン
好物 ピラニアの天ぷら

AORバンド「1986オメガトライブ」(その後「カルロス・トシキ&オメガトライブ」)の元リードボーカル。

生まれ育ったブラジルの公用語であるポルトガル語、日本語の他にも英語も堪能だというバイリンガルである、カルロス・トシキ。

ブラジル南部に町・マリンガでレストラン経営をする両親の元で、日系3世として生まれ育ったカルロス。

 

幼いころから歌が好きな少年で、アメリカンポップスや日本の歌謡曲に親しんでいました。

小学校時代はコーラス部に所属しながら、歌謡曲を歌わせたら大人顔負けの歌唱力で、日系ブラジル人の間では有名な少年だったそうです。

9歳 パラナ州歌謡大賞・童謡の部 優勝

16歳 ブラジル歌謡協会主催・全ブラジル少年の部 優勝

17歳 ブラジル歌謡協会主催・全ブラジル青年の部 優勝

この時歌ったのは、西城秀樹の「ブルースカイブルー」でした。

 

抜群の歌唱力を活かして日本でのデビューを目指し、18歳になる年の1982年に来日。

来日当初は日本語はまだ片言で、特に漢字が読めなくて苦労したといいます。

 

CARLOSの名でシングル「ルシア」をリリース。念願のデビューを果たします。

しかし、大きなヒットを飛ばすこともなく数年の年月が過ぎます。

 

所属事務所の社長が急死して所属事務所が廃業するなど、苦難の時期には、日本での音楽活をやっていけるのだろうかと不安でたまらなかったそうです。

その後、芸能事務所「トライアングルプロダクション」と契約。

 

ソロでの活動を予定していたが、「オメガトライブ」から杉山清貴が脱退することが決まり、後任のボーカルとしてカルロスに白羽の矢が立ちます。

1986年 新生オメガトライブのボーカルとしてデビュー

代表曲「君は1000%」は35万枚の大ヒットとなり、次々とヒットを飛ばします。


1988年 バンド名は「カルロス・トシキ&オメガトライブ」に改めます。

1991年 オメガトライブ解散。カルロスはソロ活動を開始。

1994年 鷹橋敏輝と改名し所属事務所から独立。

 

徐々に人気も下降し、過去の人となってしまったカルロス・トシキ。

2000年に、椎間板ヘルニアを患ったことをきっかけに、静養のためブラジルへ帰国しました。

日本での音楽活動は長期間休止となります。

 

カルロス・トシキの結婚

1995年 カルロス・トシキさんの結婚を事務所スタッフが発表しました。

お相手は

中山美奈子さん

カルロス・トシキよりも1歳年上の女性です。

知り合ったのは日本で、ご結婚されて5年後にブラジルへ一緒に渡っています。

なお、お子さんに関する情報は見つかりませんでした。

 

ブラジルのニンニク王として成功

椎間板ヘルニアのために帰国して静養していたカルロス。

音楽活動からは離れて、母国ブラジルで両親が営むレストランの手伝いをしながら暮らしていました。

40歳を過ぎたころのこと

レストランの手伝いをしながらカルロス・トシキは、日本のニンニクに比べてブラジル産のニンニクが劣っていることに気が付きます。

なぜ、ブラジル産のニンニクは美味しくないのか?

 

ブラジルは赤道直下の熱帯のため、寒い地方が栽培に適しているニンニクを生育する環境としては厳しく、国産で美味しいニンニクがありませんでした。

ブラジルで美味しいニンニクを作ることが出来たら大きなビジネスチャンスになるのではないか?

そう考えたカルロス・トシキは、暑さに強く美味しいニンニクを作ろうと思いたったのです。

 

日本人の知り合いが農家に種苗をおろしていることを聞き、その知り合いの会社である品種改良会社「テクノ・プランタ」に勤務。

さらに、47歳でブラジルの国立大学に入学し、本格的にバイオテクノロジーを学びます。

 

昼は会社勤めをしながら、仕事が終わってから大学に通い学んだそうです。

授業は、夕方の6時半から最終11時までといいますから、仕事との両立は大変だったでしょう。

 

そんな仕事と大学を両立させた生活を、6年間も続けていたのです。

47歳にして大学生となって学ぶとは素晴らしいですね~。

 

そしてカルロスは、大学で学んだ知識を生かして、暑さに強く美味しいニンニクの品種改良に成功。

現在、ブラジルで栽培されているニンニクの種はすべて、カルロス・トシキさんが開発した品種から作られているそうです。

「ブラジルで最も偉大なニンニク・スペシャリストの一人」

と呼ばれています。

 

音楽活動を再開

ブラジルでビジネスに成功し、もう音楽活動とも遠い世界だったカルロス・トシキ。

実はブラジルに帰国してからも、日本のミュージシャンたちとは連絡を取り合っていました。

あるとき、「また一緒に日本で音楽をやらないか」と誘われて、心が動いたカルロス。

ブラジルでの仕事を放り出すわけにもいかず、悩んでいたところに、バンドのプロデューサーのマーティー・ブレイシーさんから連絡が入ります。

日本でのライブが決まったよ

 

本人の承諾も得ないでライブを決めてしまうとはすごいプロデューサーですが、カルロスもついに日本行きを決意します。

2016年9月に予定されていた来日公演は、ビザの関係で延期となりましたが、

2017年2月、横浜公演を皮切りに、東京、横浜、名古屋、大阪、福岡を巡るデビュー30周年記念ライブ・全国ツアーを遂行しました。

未だに衰えぬカルロス・トシキの人気。

今後も日本とブラジルの架け橋となり、活躍されることでしょう。

期待したいですね。


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