筒井宣政の家族【バルーンカテーテルで医療の素人が救った命の数々】借金返済の苦労談も

医学には全くの素人が、生まれつき心臓に血液が流れなくなってしまう難病をもった娘さんの心臓病を治すために人工心臓の製作にチャレンジ。

12万人の命を救う技術を開発したプロフェッショナルの物語です。

筒井 宣政(つつい のぶまさ)

東海メディカルプロダクツ会長

生まれ 1941年(昭和16年)
出身地 愛知県名古屋市
高校 東海高校
大学 関西学院大学経済学部卒業

樹脂加工メーカー、東海高分子化学の創業者を父として生まれた筒井宣政さん。

東海高校時代には柔道部で汗を流し、2年のときにはインターハイ団体優勝を遂げています。

現在の段位は4段です。

 

大学卒業後に父親の後継者として、東海高分子化学に入社。

1981年 東海メディカルプロダクツを設立。

1989年に「IABP(大動脈内バルーンポンピング)バルーンカテーテル」を完成させました。

 

受賞歴

平成28年6月 EYワールド・アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2016 日本代表
平成23年11月 旭日双光章 受章
平成23年9月 高分子学会 平成23年度フェロー受賞
平成14年4月 黄綬褒章 受章

現在は、

名古屋大学 博士課程リーディングプログラム(PhDプロフェッショナル登龍門)客員教授

2013年に、東海メディカルプロダクツ社長を退任し、会長となっています。

 

株式会社東海メディカルプロダクツ

春日井本社

愛知県春日井市田楽町字更屋敷1485番地


TEL 0568-81-7954
FAX 0568-81-7785

設立 1981年(昭和56年)10月6日
資本金 8475万円
従業員数 203人
売上高 35億5000万円(2016年9月期)
34億9300万円(2015年9月期)
31億8200万円(2014年9月期)
事業所 本社/愛知県春日井市田楽町
土岐事業所/岐阜県土岐市泉町
土岐第二事業所/岐阜県土岐市下石町
高蔵寺工場/愛知県春日井市高森台
海外工場/フィリピン

創業の精神

一人でも多くの生命を救いたい

 

日本初のIABPバルーンカテーテルの開発に成功。

医療用カテーテルを中心に、心筋梗塞や狭心症などの患者の心臓の動きをサポートするIABPバルーンカテーテルで国産シェアナンバーワンです。

 

バルーンカテーテル

先端が風船状となっており、血管などの内部で膨らませることにより、治療や処置に用いられる医療器具です。

心臓の筋肉に血液を送っている冠状動脈が詰まると、血液の流れが悪くなり、心臓を動かす源が不足する病気が狭心症、心筋梗塞です。

 

IABP(大動脈内バルーンパンピング)バルーンカテーテルは、

カテーテルを足の付け根あたりの動脈から入れて、心臓付近の大動脈内でバルーンを膨らまして、圧力をかけて他のところへ血液を送りやすくします。

次に、収縮して心臓が血液を送り出し易くします。

心臓のリズムにあわせこれらを繰り返すことで、弱った心臓のポンプ機能を一時的に補助するのです。

IABPバルーンカテーテルは冠状動脈の血流を保つためのもので、心臓病を治すことはできません。

あくまでも一時的に弱った心臓を補助する医療器具です。

(出典:http://www.tokaimedpro.co.jp/product/iabp/)

 

借金返済のためにアフリカへ

後継者としての将来を約束され、順風満帆の人生のように思えました。

しかし、会社を引き継いだ直後に、父が連帯保証人になって抱えた多額の借金が判明します。

 

当時の東海高分子化学の売り上げは、年間4,000万~5,000万円。

借金の金額は、この年間売上の約2倍。

1億円近い額でした。

現在の価値でいえば、数十億という金額です。

 

利益は、わずかに200万円ほどの零細企業で、筒井宣政さんによると借金返済に72年かかるという計算でした。

厳しい取り立てもあり、何とか借金返済のための新製品開発を目指します。

 

あるときのこと、

アフリカの女性向けに塩化ビニル製の髪結いひもを作れば大きなビジネスチャンスになるという話が舞い込みます。

原価は日本円で1本数銭という安さ。

アフリカでは、女性が髪を結ぶために、一人で10本も20本も使い、ほとんどの女性が使いますから、膨大な需要があります。

遠いアフリカでのビジネスということで不安はありましたが、このままでは72年間借金に縛られると思い、アフリカに渡ることを決意。

 

しかし、海外でのビジネスのためには英会話が必須。

英会話学校に通うお金にも事欠いている状態だった筒井宣政さんがとった行動とは?

それは、地元ホテルの喫茶ラウンジでフラフラしながら、ラウンジでくつろいでいる外国人に話しかけるという方法で、独学で英会話をマスターしました。

 

アフリカに渡ってからも、異国から来た見知らぬ東洋人に現地の人は心を開いてくれませんでした。

そのころは、風土病が怖くて、現地の人が出す料理や飲み物は決して口にしなかった。

これではいけないと思い切って、現地の人と一緒に同じ料理を食べ、同じ飲み物を飲んで過ごしているうちに信頼を得ていったのです。

 

現地の人に仲間として受け入れられてからはビジネスが順調に伸びていきます。

ビニールの髪結いひもは、西アフリカの国々で大流行。

この成功によって、年間売り上げをそれまでの3倍近い、1億2000万円にまで伸ばしました。

 

そして、アフリカ進出から7年後の1974年。

1億円の借金を完済することができたのです。

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