垣内俊哉の生い立ち・結婚・年収【骨形成不全症とは】

2018年2月1日

新し建物にはバリアフリーを意識して施工するのが常識となっていますね。

しかし、実際に車椅子で利用している方にとって

「外に出てみれば、気づきにくいバリアーがいかに移動を邪魔しているのかわかる」

 

これまでのバリアフリー、ユニバーサルデザインは、当事者の視点に立ってのものではない場合も多いのが現実です。

これを

「何ちゃってバリアフリー」

と呼んで、車椅子の視点からバリアフリー社会を提案しているのが、「車椅子の社長」

 

株式会社ミライロ

創業者にして代表取締役社長

垣内 俊哉(かきうち としや)

生年月日 1989年(平成元年)4月14日
年齢 2018年1月現在、28歳
出身地 愛知県安城市
幼稚園 恵峰学園杉の子幼稚園卒園
小学校 中津川市立苗木小学校卒業
中学校 中津川市立苗木中学校卒業
高校 岐阜県立中津高等学校中退
大学 立命館大学経営学部卒業

愛知県安城市に生まれて、岐阜県中津川市で育った垣内俊哉さんは、生まれつき,骨折がしやすい「骨形成不全症」という障害を負っています。

健常児であれば生後1年前後で歩けるようになりますが、垣内さんが初めて歩いたのは3歳になったころでした。

これは遺伝によるもので、弟さんも車椅子生活です。

 

骨形成不全症

指定難病274

骨がもろく弱いことから、骨折しやすくなり、骨の変形を来す先天性の疾患。

およそ2万人に1人くらいの割合で生まれるとされ、推定患者数は、約6000人と考えられています。

 

骨形成不全症の原因

骨形成不全症の90%で、結合組織の主要な成分であるⅠ型コラーゲンの遺伝子変異(COL1A1,COL1A2)がみられます。

親のどちらかが同じ病気で、常染色体優性遺伝を示しているケースも、常染色体劣性遺伝の場合もあります。

しかし、突然変異で病気になる場合もあります。

 

骨形成不全症の症状

骨折しやすいことや、骨の変形などの骨に関する症状以外にも、

  • 目の強膜が青くなる
  • 難聴
  • 脊柱変形による呼吸機能障害
  • 心臓弁の異常による心不全

などが引き起こされることがあります。

 

骨形成不全症の治療法

内科的治療

骨粗鬆症に使用されるビスフォスフォネート製剤の投与が行われます。

 

外科的治療

骨折した際に観血的骨整復術、四肢変形に対して骨切り術、長管骨の骨折変形予防を目的とした髄内釘挿入、脊柱変形に対する矯正固定手術などが行われることがあります。

(出典:難病情報センターhttp://www.nanbyou.or.jp/entry/4567)

 

垣内俊哉の生い立ち

この障害を持った垣内さんは、

骨折30回

手術10数回

28年のうちの5分の1は病室にいたといいます。

 

それでも幼稚園の頃には活発でサッカーが好きな普通の少年でした。

しかし、ちょっと友達とぶつかっただけでも骨折してしまうために、徐々に歩けるのに歩くことをさけるようになってしまいます。

 

ちょっとしたことで骨折をする。

当然痛いし、入院しなければならないし、入院すれば学校にも行けない。

車椅子の方が骨折するリスクが少ないために、車椅子での生活に慣れてしまい「歩かなくてもいい」と思ってしまったのです。

小中学校にはエレベーターもあり、小さいころから気心が知れた友達がサポートしてくれる。

野球部に入部して、公式戦はともかく練習をして打席に立つこともできる。

自分は障害者なのだと意識させられることはあるものの、充実した学校生活を送っていました。

 

しかし、高校入学後に状況が変わりました。

地元の高校に進学した垣内さんですが、その高校はエレベーターがない4階建ての校舎。

階段での移動の際に、車椅子を運んでもらったり、四つん這いで膝と手をついて階段を昇ったり。

みんなの目も気になるし、車椅子をだれに運んでもらおうか、いつも同じ人じゃあ申し訳ない。。。

そんな高校生活が嫌になり

「歩けなければダメなんだ」

 

そう考えて、高校を休学。

大阪の専門医の治療を受け、大手術も受けました。

 

それでも歩くようにはなれず、人生に絶望し、17歳の時に自ら命を絶とうと決意します。

決意しては思いとどまり、それを繰り返すこと3回。

 

その後、10ヵ月間に及ぶリハビリにも拘わらず、結局、自分の足で歩くことは出来ず、「自分の足で歩きたい」という思いを諦めざるを得ませんでした。

しかし、もう死ぬことを考えるのではなく「歩けなくても出来ること」を求めて生きていくことを決意します。

 

そして、長期の休学によって留年が決まったことにより、高校は中退を決意。

大学入学を目指して、高等学校卒業程度認定試験にチャレンジします。

全く勉強する機会がなかった当時は偏差値33

 

それから予備校に通いながら猛勉強の末に、高等学校卒業程度認定試験に合格。

大学受験資格を取得し、立命館大学を受験します。

大学入試2週間前に足を骨折して入院するというハプニングを乗り越えて、見事に合格しました。

 

学生起業~車椅子の社長

そして、大学時代のアルバイトが垣内さんの人生を変えます。

ベンチャーのHP制作会社でアルバイトすると、営業成績が社長の次、つまり社員の中でトップに。

それは車椅子の営業マンが珍しかったからであり、顧客に覚えてもらえたからでもありました。

そのときに社長から言われたことが

「歩けないことをウジウジ言うな。営業マンとして覚えてもらえるというのはすごい強みだぞ。車いすであることに胸を張れ!」

 

それからは

いままでの「歩けなくても出来ること」

を追い求めるのではなく

「歩けないからこそ出来ること」

があるのではないだろうかと考えるようになりました。

そして、クラスメイトの民野剛郎とValue Added Networkを起業します。

民野さんとの関係は

「彼のできないことを私が、私のできないことを彼がやろう」


PAGE TOP