野村沙知代、突然死の死因は虚血性心不全・野村克也を支えた半生【パンパンの過去も】

2017年12月11日

「サッチー」の愛称で親しまれたタレントの野村沙知代さんが亡くなったと、2017年12月8日夕に大手メディアが報じた。85歳だった。プロ野球の元監督・野村克也氏(82)の妻として知られる。

12月8日午後2時過ぎ、世田谷区玉川田園調布の自宅から野村沙知代さんが意識不明の重体で都内の病院に搬送され、死亡が確認されました。

野村沙知代さんの死因

しばらくメディアに登場していなかった野村沙知代さん。

認知症の噂もありましたが、認知症が死因となることはなく、意識不明で搬送されたということですので、

心筋梗塞

脳卒中

などが考えられます。

 

夫である野村克也氏のコメント

「昨日までシャンシャンしてたんだけど、突然でびっくり。

今朝も元気に食事してたけど、

昼、ひと口食べてそれ以上口にしないからどうしたんだって…。

最後は何もしゃべれませんでした。

問いかけても返事しなくなって…。

原因はわからないです。

我々からすれば突然死ってやつですよ」

「逝くのは俺の方が先だなって言ってたんだけど、逆でしたね。

ずっとそばにいましたから、いい奥さんでした」

突然のことで何もしゃべれなくなったということですので、考えられるのはやはり脳卒中ではないでしょうか。

※専門的な知識に基づく見解ではありません。

現在のことろ詳細は不明です。

<追記>
その後の発表で、死因は「虚血性心不全」であると発表されました。

 

虚血性心不全

野村克也氏が「突然死」と表現した妻の死因。

急性症状により発現後24時間以内の死亡を「突然死」といいます。

実は、突然死の大半が虚血性心不全(虚血性心疾患)なのです。

虚血

臓器を栄養する血液が供給されなくなった状態

 

原因は、心臓へ血液を送る「冠状動脈」(かんじょうどうみゃく)の疾患の1つで、「冠状動脈硬化症」です。

冠状動脈が固くなり、血管が狭くなったり、つまってしまうことで、心臓を動かす心筋に十分な血液を送ることが出来なくなる「狭心症」や、心筋の一部が死んでしまう「心筋梗塞」が起こり、やがて死に至ります。

虚血性心不全の原因

虚血性心不全の原因はいくつもあります。

その中で、特に次の3つが最も大きな危険因子となります。

高血圧
高脂血症
喫煙

この危険因子が1つで、発病リスクが2倍になり、

危険因子が2つで、発病リスクは5倍

危険因子が3つともそろうと、発病リスクは10倍以上にもなります。

また、それ以外にも

ストレス
肥満
糖尿病
高尿酸血症

などもリスク要因となります。

 

虚血性心不全の症状

初期の段階としては、胸が締めつけられるような感じがしたり、息切れを起こしたりすることが初期症状なのですが、まったく自覚症状がない場合が少なくありません。

発症すると、胸のやや左側、つまり心臓側の痛みがあります。

他にも、胸部、みぞおち、肩から上腕にかけて数分間の痛みを感じるようになります。

このような発作が度々起こるようだと、心筋梗塞に至る危険性が大きいといえます。

ただし、何の前触れもなく激しい胸の痛みや吐き気をもよおして、血行障害が広範囲に及ぶと短時間のうちに死に至ることもあります。

仕事中、歩行中、休憩中などいつでも起こる可能性はあり、突然倒れて失神し、時には甲高い鼾いびきや悲鳴のようなうめきを2、3回発するようなことがあれば、即救急車を呼ぶべきです。

 

虚血性心不全の予防法

日常生活で、血圧をコントロールすることが最も重要です。

そのためには、食生活で低脂肪、減塩を意識して、肉や卵などの動物性脂肪を減らし、植物性脂肪やイワシ、サバなどの青魚、野菜、果物などをたくさんとるようにしましょう。

他には

「適度な運動」「肥満対策」「禁煙」

また、ストレスも虚血性心不全のリスクを高めますので、ストレス対策も重要になります。

 

息子のダン野村氏のコメント

「この世に一人しかいないすばらしいお母さんでした」

 

野村克則コーチのコメント

「突然のことで受け入れられず、今は悲しい気持ちではありますが、ここまで育ててくれた母に感謝しかありません。

最後はしっかり見送りたいと思います。偉大な母でした」

 

 

 

野村 沙知代(のむら さちよ)

出生名 伊東 芳枝(いとう よしえ)
生年月日 1932年(昭和7年)3月26日
没年月日 2017年(平成29年)12月8日
没年齢 85歳
出身地 福島県西白河郡西郷村
血液型 B型
所属 エフエンタープライズ
出身校 東京都荒川区立第二瑞光国民学校
現在の荒川区立第二瑞光小学校

昭和7年生まれというと、幼いころから戦争を体験した世代ですね。

太平洋戦争中には東京から故郷の福島に疎開をするなど苦労をしたようです。

そんな影響というわけではないのでしょうが、幼いころの沙知代(芳枝)さんは、なかなかの問題児だったようです。

例えば

万引きの常習犯。

さらに

虚言癖

例えば

「東京の田園調布出身で、皇族の出である」

「伊藤博文の家系である」

思わず笑ってしまいそうなジョークに聞こえますね。

 

進学を諦めて福島県白河市の電電公社に電話交換手として就職します。

ところが、「ミス白河」選ばれたことをきっかけに、退職して東京へ向かったそうです。

 

やがて終戦。

日本が最も貧しかった時代に、野村沙知代(伊東芳枝)さんも生きるために必死だったようです。

職業は、東京に進駐しているアメリカ人兵士相手の「パンパン」

「パンパン」とはつまり、アメリカ兵の夜の相手をしてお金をいただくという職業です。

 

自著によれば、終戦後はニューヨーク・コロンビア大学の精神心理学部を卒業し、同時通訳として働いていたことになっています。

幼少期の虚言癖がここにも。。。

 

認めたくない自分がいて、それを覆い隠すためにことさら派手な肩書を並べ立ててしまうのですね。

ちなみに、この話はwikipediaを元にしていますが、ご本人は認めていませんので、真実がどこにあるのかは未確認です。

 

結婚・出産

伊東芳枝としての最初の結婚は、1957年(昭和32年)

アメリカ軍将校の東欧ユダヤ系アメリカ人「アルヴィン・エンゲル」と結婚します。

そして二人の息子を授かります。

ダン (野村克晃)

ケニー (野村克彦)

 

野村克也との出会い

1970年 この年から南海ホークスで選手兼任監督を務めていた野村克也。

1965年には三冠王を獲得するなどすでに日本を代表するスラッガーとして、さらに南海ホークスの再建を託された兼任監督として激務の毎日を送っていました。

8月に遠征先の東京で、行きつけの中華料理店で偶然相席になったのが沙知代さんでした。

当時の野村克也も既婚者でしたが、前妻との関係が思わしくなく、気さくな沙知代さんと急接近。

1972年(昭和47年)には、愛人関係になります。

お互いに既婚者ですので、いわゆるダブル不倫ですね。

 

1973年(昭和48年) 野村克也との間に克則が誕生します。

当時はまだ愛人関係での出産なので、非嫡出子ということになります。
(後に克也氏が認知しています)

ちなみに、「芳枝」から「沙知代」へと改名したのはこの時期のようです。

野村克也の愛人として陰でひっそりと。。。。なんていう女性ではなく、球場はもちろんロッカールームにも顔を出していたそうです。

さらに、監督の愛人としてチーム運営に口をはさんだり、選手からは悪評がたっていたといいます。

結局、1976年、77年と2年連続リーグ2位という成績を残しながら、野村克也監督は南海ホークスに解雇されます。

当時は阪急ブレーブスの黄金時代で、リーグ2位という成績は立派なものだったので、なぜ解雇されたのかスポーツ紙をにぎわしました。

様々な憶測が流れましたが、監督の愛人によるチームへの介入が問題視されたというのが真相のようです。

南海ホークスを解雇された翌年、1978年(昭和53年)4月、野村克也は前妻との離婚が成立。

沙知代の連れ子であるダンとケニーも野村克也の籍に入ります。

野村克也は、「生涯一捕手」を掲げて、ロッテにトレード。

その後、西武に移籍し、史上初の3000試合出場を果たして1980年に引退します。


PAGE TOP