仁井谷正充・かつては年収1億以上【家賃5万円のアパートから再起】

国民的大人気ゲーム『ぷよぷよ』を開発したコンパイル創業者が、倒産、自己破産の末に家賃5万円のアパートから再起して新作「にょきにょき」を発表!

波乱万丈の人生を振り返ってみましょう。

仁井谷 正充(にいたに まさみつ)

生年月日 1950年(昭和25年)2月10日
年齢 2017年12月現在、67歳
ペンネーム Moo仁井谷
出身地 広島県三原市
小学校 三原市立三原小学校
中学校 三原第三中学校入学
高校 広島県立三原高校
大学 広島大学理学部 中退

仁井谷正充の生い立ち

きかん気が強くて、生意気な少年時代だったという仁井谷さん。

そのうえ、頭も抜群によく知能指数テストでは「2000人に1人のレベル」とまで言われたそうです。

そのころの夢は「漫画家」だったとか。

 

中学高校ではその頭脳明晰ぶりを発揮して優等生。

理数系が得意で研究者を志して、地元広島県の国立大学に入学します。

 

大学時代は一転して、学生運動に没頭し、7年在籍して中退したという仁井谷さん。

1950年生まれということなので、70年安保闘争の世代ですね。

中退後に就職しましたが、かの有名な三里塚闘争で逮捕されて退社。いわゆる「クビ」かな?

三里塚闘争

成田市・芝山町の地元住民及び新左翼活動家らによる新東京国際空港(現成田国際空港)の建設・存続に反対する闘争のことを指す。(出典:wikipedia)

 

中退後は、学習塾経営など職を転々として、28歳の時にパソコンショップの店員となりました。

当時はまだパソコンを持っている人が少なく、スペックも今と比較したら信じれられないほどの低スッペクだった時代。

そんな時代の名機と言われた「AppleⅡ」を購入して、独学でプログラミンを習得。

自宅で趣味としてゲーム開発を始めました。

 

起業~国民的大ヒットゲーム

契機は32歳の1982年

広島市南区大須賀町にパソコンのシステムソフト開発の会社、コンパイルを設立します。

2年目にセガのOEMの仕事を得て、初めて開発したゲーム用ソフト『N-SUB』がヒットします。

続いて、ビリヤードゲーム「ルナーボール」などのヒット作を開発し、ゲームソフト開発会社として高い評価を得ます。

『ZANAC』というシューティングゲームは、世界トータルで100万本売れたそうです。

そして創業9年目の1991年

全世界で4000万本を売り上げるという大ヒットとなった「テトリス」を参考にして開発した『ぷよぷよ』をリリースします。

シンプルだけど、一度始めるとやめられない。

子どもから大人まで夢中になる爆発的な大ヒットとなり、年間で180万本を売り上げました。

この大ヒットによって、コンパイルは1996年には売上高を70億円にまで伸ばし、社長である仁井谷さんの収入も、月収1千万円、年収にして1億2千万円以上となりました。

もっとも酒も女も車にも興味がなかった仁井谷さんは。散財をすることもなく、あり余るお金の使い道は自社株を買うことだったそうです。

 

社会現象とまでなったぷよぷよの大ヒット。

1995年、全日本ぷよ協会を設立して、「ぷよぷよ段位」を認定し、ユーザーの拡大と進化に努めていました。

当時の夢は

「ぷよぷよを囲碁のような世界的なゲームに育てたい」

 

イベントなどにも積極的に顔を出し、写真週刊誌「FLASH」に「アルプスの少女姿」で営業する写真が掲載されると、ゲーム業界の名物社長として有名人となりました。

ぷよぷよの累計販売数1,000万本にもなりました。

 

事業拡大~倒産

絶好調だったコンパイルと仁井谷さん。

しかし、そんな裏側では徐々に影が忍び寄っていました。

大ヒットした「ぷよぷよ」以降に発表した作品にヒット作が生まれず、勝負をかけたはずのグループウェア『パワーアクティ』が全く売れずに大失敗。

追い打ちをかけたのが、「ぷよぷよランド」建設構想。

1983年の東京ディズニーランド、1990年のサンリオピューロランドとテーマパークの開業があり、ぷよぷよというゲームキャラクターをテーマにした総合エンターテイメントへの挑戦でした。

その規模は、地上10階、ジェットコースターなどのアトラクション、巨大プール、さらにはカラオケボックスからホテルまでというから驚きの規模です。

建設予定地はディズニーランドにもほど近い海浜幕張。

千葉マリンスタジアムに隣接する敷地も確保できていたといいます。

 

しかし、これだけの規模のテーマパークを作るのにはいったいどれほどの建設資金が必要なのでしょうか?

その建設資金は500億円!

いくらなんでも年商70億円の企業に賄える金額ではありません。

その資金を調達するために株式の上場を目指します。

 

確かに上場が実現すれば資金調達力はけた違いになります。

しかし、その資金難の状況にもかかわらず、ぷよぷよランド開設の準備に向けて、仁井谷社長は雇用を拡大します。

 

100人足らずだった社員をなんと408人もの従業員を雇用。

社員を1人雇用するためには、最低でも年間500~600万円必要とされますので、300人の増員は年間で15~18億円の経費増大につながります。

 

そのうえ、ヒット作が出ない焦りからか、広告宣伝費も増大させていました。

 

今にして思えばでしょうが、これは明らかに経営判断としては拡大路線を急ぎすぎましたね。

 

最後にとどめをさしたのがバブル崩壊の影響による、北海道拓殖銀行と山一証券の経営破綻に端を発する金融不安。

これを契機に金融機関の融資姿勢が一変し、社会問題ともなった「貸しはがし」が行われます。

 

コンパイルの経営拡大による資金不足を警戒し、メインバンクを含めた取引のあった30行の融資姿勢が急変。

ほどなくコンパイルは運転資金がショートしました。

 

1998年に75億円の負債を抱え、和議申請。

倒産しました。

和議申請

債務者が裁判所に申請して,債務返済について債権者全員と話し合いをもるための手続きです。


PAGE TOP