樫本大進の年収&使用楽器の値段【妻はマリンバ奏者・義妹はタカラジェンヌ】

2017年12月5日

2017年12月4日放映の、NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」で、31歳にして名門ベルリンフィルの第1コンサートマスターとなった天才バイオリニストが特集されます。

樫本 大進(かしもと だいしん)

生年月日 1979年(昭和54年)3月27日
年齢 2017年12月現在、38歳
出身地 ロンドン

 

樫本大進の生い立ち

重機メーカーで働く父親(樫本同さん)の海外赴任中のロンドンで生まれた、樫本大進さん。

東京音楽大学卒業の母親(樫本潔子さん)の影響もあり、3歳からヴァイオリンを始めます。

帰国して日本の幼稚園に通いながら、恵藤久美子に師事していました。

いわゆる帰国子女ですね。

 

5歳の時に、父の転勤でニューヨークへ。

7歳でジュリアード音楽院プレカレッジに入学し、田中直子に師事します。

樫本さんのご両親は、樫本さんがより見聞を広められるようにとニューヨークに住みながらもヨーロッパを訪れては、様々な音楽家のマスタークラスへ通わせたそうです。

そして、ロシア人の名教授ザハール・ブロン「俺のところについてこい」と誘われて、11歳でドイツ・リューベックへの留学を決意します。

父親は仕事でニューヨーク。

母親と二人でドイツに移住します。

11歳のときですから1990年。

ベルリンの壁が崩壊したのが1989年11月9日ですので、直後の混乱していた時代ですね。

 

ドイツ語は全くしゃべることが出来ない状態で現地のギムナジウムに通いなが、音楽院の特待生としてバイオリンの練習に明け暮れていました。

当時は、学校が終わってから1日に5~6時間練習をしていたといいます。

 

留学間もないころから、その実力をいかんなく発揮し、数々のコンクールで賞を獲得しました。

1990年 第4回バッハ・ジュニア音楽コンクール 第1位
1991年 リピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクール・ジュニア部門 第3位
1993年 ユーディ・メニューイン国際コンクール・ジュニア部門 第1位
1994年 第3回ケルン国際ヴァイオリン・コンクール 第1位
1995年 日本でアリオン賞を受賞
1996年 フリッツ・クライスラー国際コンクール 第1位
ロン=ティボー国際コンクール 第1位(史上最年少)

1997年10月に、ギムナジウム高校課程を修了し、リューベック音楽院に入学した後も

1997年 日本でモービル音楽賞(奨励賞)受賞
1998年 芸術選奨新人賞(音楽部門)受賞

リューベックでの生活は10年間に及び、10代をまるごと過ごすことになりました。

ドイツの田舎町だったので周りに日本人もいなくて、日本語を忘れてしまうような環境だったらしいです。

そんなこともあって、帰国後も日本語でのインタビューが苦手だったとか。

 

10年にわたって過ごしたリューベックでしたが、10代の終わりを迎えて、

もっと違うものを経験したい、周りの環境を完全に変えてみたい

という気持ちが強くなりました。

 

そして、19歳の1998年。

ベルリン・フィルのコンサートマスターを務めていたフライブルク音楽大学教授・ライナー・クスマウルに出会います。

それまで師事していたブロンは、丁寧に教えてくれるタイプの先生。

対して、クスマウルは、自分で考えさせて見守るタイプの指導者でした。

指導のスタイルも独特で

「今日は何を弾く?」とクスマウルに聞かれて、

「チャイコフスキーの協奏曲を弾きたい」と答えると

「それは俺よりお前の方が上手いじゃないか。それよりモーツァルトを弾け」と言うような先生だったそうです。

 

2005年春に音楽院を修了し、本格的なプロ活動が始まります。

 

そして、10年に及ぶフライブルクでの生活にピリオドを打ち、ベルリンへ向かいます。

ベルリンフィルは樫本さんにとって憧れのオーケストラでした。

カラヤンの振っていた黄金時代、その弦楽器の音に魅了されたといいます。

コンサートマスターへとなるきっかけは旧知の元ベルリン・フィル第1コンサートマスターであったガイ・ブラウンシュタインさんの一言でした。

当時のベルリン・フィル第1コンサートマスターである、安永徹さんがもうすぐ辞めるということがわかり、ガイは樫本さんに

「オーディションの申し込みをしたか? 早く送れ。キャンセルはいつでもできるから」

と何度も説得をしたそうです。

 

実は樫本さんは、以前にも一度、ベルリンフィルのオーディションを受けていたのです。

そのときは結局採用者なし。

2009年9月、二度目のチャレンジで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 第1コンサートマスターに内定しました。

この時点ではあくまでも内定で、2年間の使用期間を経て正式に就任する予定でした。

そして、予定よりも9か月早い2010年12月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 第1コンサートマスターに正式就任します。


PAGE TOP