木村太郎衆院議員、ガンで死去。親子3代の政治家、その経歴、プロフィール、エピソード。

自民党衆院議員の木村太郎氏が死去されました。

青森4区より7期連続当選した細田派のベテラン議員で、安倍内閣の首相補佐官を3年近く務めていました。享年52.

死因はガンのようです。

葬儀・告別式の日程などは不明。

死去に伴う補欠選挙は公選法の規定により、10月22日に投開票される見通しです。

 

木村 太郎(きむら たろう)

青森県第四区選出の現職衆議院議員です。

自民党での役職

  • 衆議院地方創生特別委員長テレワーク推進特命委員長
  • 豪雪対策特別委員長
  • 雇用問題調査会 副会長
  • 安全保障調査会 副会長
  • 科学技術・イノベーション戦略調査会 副会長
  • 整備新幹線等鉄道調査会 副会長?憲法改正推進本部 副本部長

木村太郎さんの略歴

生年月日 1965年(昭和40年)7月20日
没年月日 2017年7月25日(満52歳没)
出身地 青森県南津軽郡藤崎町
高校 弘前南高等学校卒業
大学 東洋大学法学部法律学科卒業
所属政党 新進党
→改革クラブ
→自由民主党(細田派)
ご家族 妻・真紀子さん(鯵ヶ沢町出身)
長女・桜さん
長男・洸太さん
次女・楓さん
三女・梓さん

木村太郎さんの人となり

尊敬する人 坂本龍馬
好きな言葉 天に星、地に花、人に愛
好きな食べ物 りんご、ざるそば、納豆
スポーツ 野球、柔道(四段)、ハンドボール、スキー、ウォーキング
今まで最も嬉しかったこと 子どもの誕生
影響を受けた本 シンドラーのリスト、日本の心の教育

 

親子3代の政治家

木村さんの一族は、青森では有名な政治家の家系です。

おじい様の、木村文男(きむら ふみお)さんは、元衆議院議員。

木村 文男(きむら ふみお)

衆院議員 自民党
生年月日 1904年(明治37年)7月
出身地 青森県
学歴 青森県師範学校〔大正14年〕卒

青森県議を経て、昭和27年衆院議員初当選。

以降3選を果たします。

第1次鳩山内閣の北海道開発政務次官をつとめ、

昭和40年3月20日没。享年60。

 

そして、お父様の、木村守男さんも衆議院議員。そして、元青森県知事でした。

木村 守男(きむら もりお)

出典:pref.akita.jp
生年月日 1938年1月24日(2017年7月現在、79歳)
出生地 青森県南津軽郡藤崎町
出身校 日本大学法学部
選挙区 青森2区
衆議院議員 4期
青森県知事 第14代、第15代、第16代
1995年2月26日 – 2003年5月16日

1980年、新自由クラブ公認で衆議院議員青森2区に出馬、初当選します。

その後、新自由クラブを離党。

1981年、自由民主党に入党し派閥は田中派に所属しました。

以降、計4期に渡って務めた後に、青森県知事に立候補します。

 

1995年、青森県知事に当選。

その後は、再選を重ねて3選を果たした後に、事件が起こります。

『週刊新潮』で「セクハラ不倫疑惑」が取り上げられ、知事辞職勧告決議が採決されます。

しかし、木村さんは辞職勧告を拒否。

その後の、知事不信任決議案は否決。

 

これで県政に没頭できるかと思いきや、統一地方選挙で不信任決議案に反対した議員が多く落選。

議会が知事不信任案に賛成派が多数を占めるという選挙結果となってしまいました。

再び不信任決議案が提出され、採決の前日に辞意を表明します。

こうして3期8年あまりにわたって務めた県知事を、2003年5月16日に県知事を辞職しました。

2015年10月19日、自身の政治団体の総会で政界引退を表明しています。

 

つまり、3代にわたって政治の世界を生きてきたご家族でした。

そんな、祖父と父の地盤を受け継いだ太郎さんが政治家の道を志したことは至極当然のことなのかもしれません。

 

そんな木村太郎さんが、政治家を志した理由は、ホームページによると

高校3年生の時、ふるさとの発展と、21世紀の日本の未来を拓くため、そして恵まれない人のために人生をかけて政治の道で努力したいと志をもつ。

 

幼いころから偉大な父と祖父を見て育ったのですから、その志は確かなものだったのでしょう。
そして、大学に入学と同時に行動を起こします。

大学1年生の1984年4月、19歳で田中角栄元総理の書生となります。

当時は、ロッキード事件の裁判中ですが、政界の最大勢力「田中軍団」のボスでした。

出典:www.nikkei.com

父が田中派だった縁で書生となったのでしょうが、角栄さんを身近で見ることが出来たのは大きな財産になったことでしょう。
大学卒業後は、三塚博衆議院議員の秘書を経て、

1991年に青森県議会議員選挙に出馬し、初当選。このとき、わずか25歳でした。

1995年に再選し、2期目に入りましたが、念願であった国会議員を目指します。

 

1996年、青森県議を辞職し、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で青森4区から出馬します。

1996年10月20日、自由民主党公認の津島恭一を破り、見事に31歳の若さで初当選しました。

当選翌年に、新進党解党に伴い、改革クラブ結党に参加しますが、ほどなく離党し、自民党に入党します。

おじい様もお父さまも最終的には自民党でしたからね。

ご自身も「いつかは自民党で入閣」と思っていたのでしょうか。

 

その後は順調にキャリアを重ね、連続7回当選。

数々の役職を経験します。

平成8年12月 国土交通省国土審議会特別委員
平成13年2月 衆議院農林水産委員会理事
平成14年1月 防衛庁長官政務官
平成14年10月 安全保障委員会理事
平成15年9月 農林水産大臣政務官
平成16年10月 自民党内閣部会専任部会長(防災・警察)
平成17年11月 防衛庁副長官
平成18年9月 衆議院安全保障常任委員長
平成19年10月 衆議院決算行政監視委員会理事
平成20年8月 自民党副幹事長
平成22年8月 自民党青森県連会長
平成23年7月 衆議院決算行政監視委員会筆頭理事
平成23年10月 自民党筆頭副幹事長
平成24年12月 内閣総理大臣補佐官(ふるさと担当)
平成27年10月 自民党広報本部長
平成28年9月 衆議院地方創生特別委員長

 

不祥事

2004年に政治家の年金未納問題が注目された際に、2002年1月から9月までの9か月間にわたる年金の未納が判明しています。

そういえば、こんなこともありましたね。

2004年4月23日、小泉内閣閣僚の、麻生太郎(総務相)・中川昭一(経済産業相)・石破茂(防衛庁長官)の三名が国民年金の納付をしていなかったことが判明して「年金未納三兄弟」と云われた。

 

木村太郎さんの国会珍質問

真面目な木村議員ですが、国会で珍質問をして話題になったことがあります。

「万歳三唱令」勘違い?

日本の万歳三唱の作法を定めた太政官布告と称する、偽文書が1990年代に出回りました。
明治12年(1879年)4月1日施行の「太政官布告第168号」表記がされているので、本物に思えてしまいますが、実在はしないことがその後の調査で分かっています。
これを本物だと勘違いしたということらしいのですが。。。

2010年2月
第174回国会 70 天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書

式典の結びに天皇陛下の御前にて、鳩山総理の御発声で万歳三唱をしたが、手のひらを天皇陛下側に向け、両腕も真っ直ぐに伸ばしておらず、いわゆる降参を意味するようなジェスチャーのように見られ、正式な万歳の作法とは違うように見受けられた。

日本国の総理大臣として、万歳の仕方をしっかりと身につけておくべきと考えるが、その作法をご存知なかったのか、伺いたい。

これは、当時の内閣総理大臣であった鳩山由紀夫の万歳について国会で質問したものです。

この質問に対する答弁は

万歳三唱の所作については、公式に定められたものがあるとは承知していない。

おっしゃる通りです。

国会でする質問としてはいかがなものでしょうか?
当時は、民主党政権で自民党が野党でしたので、こんな珍質問もアリだったのかな?

 

ちなみに、発端となった「万歳三唱令」はこちら

本文
別紙のとおり明治12年4月1日よりこれを施行する。右、勅旨を奉じ、布告する。
第一条:発声は、大日本帝国と帝国臣民の永遠の発展を祈って行うこと。
第二条:音頭を取る者は、気力充実・態度厳正を心掛けること。唱和の際には、全員心を一つにして声高らかに行うこと。
第三条:細部については別に定める。
(実施要領を参照)

実施要領
1.直立不動で両手は指をまっすぐ下方に伸ばし体の側面にしっかり付ける。
2.万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し、同時に両腕を垂直に高々と挙げる。その際、両手の指をまっすぐに伸ばし両掌を内側に向けておく。
3.万歳の発声終了と同時に素早く元の直立不動の姿勢に戻す。
4.以上の動作を三度、節度を持ちかつ気迫を込めて行う。

 

当選7回、しかも連続ということになると大臣の1回も経験していていい実績です。

事実、次期改造内閣での入閣もうわさされていましたし、過去にも何度か噂になりました。

ご本人も、祖父も父も果たせなかった入閣を心待ちにしていたことでしょうが、ついにその願いを果たせぬまま帰らぬ人となりました。

残されたお父様、奥様、お子様が力を落とすことなく、遺志を継いでくださることを願います。

ご冥福をお祈りいたします。

 

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