平尾昌晃さん死去。死因は肺がん。畑中葉子と「カナダからの手紙」で大ヒット!小沢深雪との再婚は泥沼の離婚調停を乗り越えて、息子・平尾勇気に託す。

2017年10月30日

稀代のヒットメーカーである作曲家・平尾昌晃氏が亡くなりました。

昭和の大ヒット曲「よこはまたそがれ」「瀬戸の花嫁」などの作曲で知られる作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日深夜、肺炎のため都内の病院で死去していたことが22日、分かった。79歳。東京市(現・東京都)出身。2年前に肺がんを患い闘病する傍ら、精力的に仕事をこなしていた。
(出典:スポニチ)

 

葬儀・告別式は、2017年10月30日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれました。

約2200人が参列し、生前に数々の名曲を残してきた平尾さんとの別れを惜しみました。

喪主の長男・亜希矢(あきや)さんのコメント

「父である平尾昌晃の偉大さというか、歴史を改めて感じました。僕はやっぱり父を継いで、チャリティー活動や音楽の仕事をしていきたい。まだまだ未熟ですけど、頑張っていこうと思っています」

主な参列者

コロッケ、山川豊、加藤和也、水木一郎、氷川きよし、湯川れい子、アグネス・チャン、山田邦子、栗田貫一、桂由美、石田純一、堀尾正明、青木功、水谷豊、細川たかし、原辰徳、堺正章、中尾ミエ、森口博子、アニマル浜口、他

 

平尾昌晃さんは、2015年、肺炎で緊急入院。

その後、肺がんと分かり闘病生活をつづけながら、「生涯現役」の信念のもと、平尾ミュージックスクールや自身のライブ活動も継続されていました。

一昨年の秋に千葉県東金市にある、老人ホーム『ゆりの木苑』で平尾昌晃の『ラブ&ハーモニー基金福祉ライブ』が行われた。

平尾さんの体調は、よくなかったのにもかかわらず、なんと楽屋に、酸素ボンベを持ちこんで、休憩時にはすぐに酸素を吸入しながらステージを続けていたそうです。

平尾さんは、かつて結核を患った経験から、チャリティー活動にも熱心で、1975年に全国の施設を慰問する『愛のふれあいコンサート』を開始。

2002年には『NPO法人ラブ&ハーモニー基金』を設立し、チャリティー活動を30年以上、続けていました。

「ステージの横で休憩するときには、利用者の方から見えないように、すぐに酸素を吸入していました。以前よりすごくやせた印象を受けたので心配していましたが、ステージに立つとガラッと変わったので、やはりプロだなと思いました」

最後まで「生涯現役」を貫き通した平尾さんの人生を振り返ってみましょう。

 

平尾 昌晃(ひらお まさあき)

出典:nicolive.cdn.nimg.jp
生年月日 1937年(昭和12年)12月24日
没年月日 2017年7月21日(享年79)
出生名 平尾勇
本名 平尾昌晃
初期芸名 平尾昌章
出身地 現東京都新宿区牛込
小中学校 神奈川県湘南学園
高校 慶應義塾高等学校中退

平尾昌晃さんのおじいさまは、化粧品業を営む平尾聚泉氏。

伯父は、クラシックの作曲家・国立音楽大学教授の平尾貴四男氏。

11歳のとき、のど自慢大会に出場し「奥様お手をどうぞ」を英語で歌い、鐘3つの合格点をもらったのがデビュー(?)

神奈川県茅ヶ崎市に引っ越してからジャズ教室に通い、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山らと知り合ったそうです。

凄い面々ですね。

慶應義塾高等学校中退して、ウエスタンの人気バンド『チャック・ワゴン・ボーイズ』へ。

1957年に、石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』に大抜擢されて出演します。

1958年1月、キングレコードより「リトル・ダーリン」でソロ・デビューして、一気にスターダムを駆け上がり始めます。

ミッキー・カーチス、山下敬二郎と「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」が爆発的に売れてスターの仲間入りを果たします。

1958年 「星は何でも知っている」

1959年 「ミヨチャン」

この2曲が、共に100万枚を超えるミリオンセラーとなる大ヒット!

 

拳銃不法所持で逮捕

1965年2月20日

ハワイから持ち帰り、帰国後「日頃、興行でお世話になっているから」と、名古屋と東京の暴力団組長に拳銃をプレゼントしたことがわかり、逮捕拘留されます。

芸能人の興行には暴力団が関係していた時代でもあったのですね。

22日後に、釈放されて、「軽率だった」と反省の気持ちを雑誌に掲載し謝罪しました。

 

作曲家として飛躍

逮捕後に復帰してからは、作曲家として大きく飛躍します。

布施明「霧の摩周湖」

梓みちよ「渚のセニョリーナ」

この2曲で第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞。

 

1968年12月3日、結核を患い健康保険岡谷塩嶺病院への長期間入院して、肋骨を6本取り除く大手術を受け、1年近い入院生活を送ります。

しかし、この災いが平尾自身にとって、作曲家として大きく飛躍するきっかけとなったそうです。

あの療養期間が、私の作曲家としての活動の原点です。

人間、何が幸いするか分かりませんね。

しかし、病気に負けず、次の仕事のための努力を怠らなかった姿勢がまずすごいですね。

 

1970年代には、様々な作風の曲を作り、まさにヒットメーカーとして大活躍します。

作詞家の山口洋子とは、ゴールデン・コンビと呼ばれていました。

1971年 五木ひろし「よこはま・たそがれ」が大ヒット。

1972年 小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」で第3回日本歌謡大賞受賞。

1973年 五木ひろし「夜空」で第15回日本レコード大賞受賞。

 

平尾昌晃ミュージックスクール

1974年 「平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール=HMS)」を創立。

東京本校の他、札幌、所沢、茨城、名古屋、大阪、福岡、鹿児島校があり、歌手になりたい若者を直接指導し、デビューのためのバックアップを始めます。

出身者はまさにキラ星のごとく、有名歌手がずらりと並びます。

 

  • 狩人
  • 畑中葉子
  • 川島なお美
  • 石野真子
  • 松田聖子
  • 川崎麻世
  • 大沢逸美
  • 森口博子
  • 芳本美代子
  • 笹峰愛
  • 倖田來未
  • 後藤真希
  • 西田あい

 

など。

畑中葉子とデュオを組み、「カナダからの手紙」が大ヒット!

「Love letter from CANADA ~」の歌声は歌手としても健在であることを知らしめて、改めて平尾さんの才能に感嘆したものです。

平尾昌晃さんといえば、「カナダからの手紙」を思い浮かべる方も多いと思います。

また、平尾さんが日本でのデビューのきっかけを作ったアグネス・チャンとも、「香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)」でデュオを組みました。

1980年代初頭から宝塚歌劇団の舞台音楽も手掛ける。

オートレースファンで、川口オートレース場テーマソング『ぶっちぎりの青春』を作曲


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