平尾昌晃さん死去。死因は肺がん。畑中葉子と「カナダからの手紙」で大ヒット!小沢深雪との再婚は泥沼の離婚調停を乗り越えて、息子・平尾勇気に託す。

稀代のヒットメーカーである作曲家・平尾昌晃氏が亡くなりました。

昭和の大ヒット曲「よこはまたそがれ」「瀬戸の花嫁」などの作曲で知られる作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日深夜、肺炎のため都内の病院で死去していたことが22日、分かった。79歳。東京市(現・東京都)出身。2年前に肺がんを患い闘病する傍ら、精力的に仕事をこなしていた。
(出典:スポニチ)

平尾昌晃さんは、2015年、肺炎で緊急入院。

その後、肺がんと分かり闘病生活をつづけながら、「生涯現役」の信念のもと、平尾ミュージックスクールや自身のライブ活動も継続されていました。

一昨年の秋に千葉県東金市にある、老人ホーム『ゆりの木苑』で平尾昌晃の『ラブ&ハーモニー基金福祉ライブ』が行われた。

平尾さんの体調は、よくなかったのにもかかわらず、なんと楽屋に、酸素ボンベを持ちこんで、休憩時にはすぐに酸素を吸入しながらステージを続けていたそうです。

平尾さんは、かつて結核を患った経験から、チャリティー活動にも熱心で、1975年に全国の施設を慰問する『愛のふれあいコンサート』を開始。

2002年には『NPO法人ラブ&ハーモニー基金』を設立し、チャリティー活動を30年以上、続けていました。

「ステージの横で休憩するときには、利用者の方から見えないように、すぐに酸素を吸入していました。以前よりすごくやせた印象を受けたので心配していましたが、ステージに立つとガラッと変わったので、やはりプロだなと思いました」

最後まで「生涯現役」を貫き通した平尾さんの人生を振り返ってみましょう。

 

平尾 昌晃(ひらお まさあき)

出典:nicolive.cdn.nimg.jp
生年月日 1937年(昭和12年)12月24日
没年月日 2017年7月21日(享年79)
出生名 平尾勇
本名 平尾昌晃
初期芸名 平尾昌章
出身地 現東京都新宿区牛込
小中学校 神奈川県湘南学園
高校 慶應義塾高等学校中退

平尾昌晃さんのおじいさまは、化粧品業を営む平尾聚泉氏。

伯父は、クラシックの作曲家・国立音楽大学教授の平尾貴四男氏。

11歳のとき、のど自慢大会に出場し「奥様お手をどうぞ」を英語で歌い、鐘3つの合格点をもらったのがデビュー(?)

神奈川県茅ヶ崎市に引っ越してからジャズ教室に通い、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山らと知り合ったそうです。

凄い面々ですね。

慶應義塾高等学校中退して、ウエスタンの人気バンド『チャック・ワゴン・ボーイズ』へ。

1957年に、石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』に大抜擢されて出演します。

1958年1月、キングレコードより「リトル・ダーリン」でソロ・デビューして、一気にスターダムを駆け上がり始めます。

ミッキー・カーチス、山下敬二郎と「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」が爆発的に売れてスターの仲間入りを果たします。

1958年 「星は何でも知っている」

1959年 「ミヨチャン」

この2曲が、共に100万枚を超えるミリオンセラーとなる大ヒット!

 

拳銃不法所持で逮捕

1965年2月20日

ハワイから持ち帰り、帰国後「日頃、興行でお世話になっているから」と、名古屋と東京の暴力団組長に拳銃をプレゼントしたことがわかり、逮捕拘留されます。

芸能人の興行には暴力団が関係していた時代でもあったのですね。

22日後に、釈放されて、「軽率だった」と反省の気持ちを雑誌に掲載し謝罪しました。

 

作曲家として飛躍

逮捕後に復帰してからは、作曲家として大きく飛躍します。

布施明「霧の摩周湖」

梓みちよ「渚のセニョリーナ」

この2曲で第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞。

 

1968年12月3日、結核を患い健康保険岡谷塩嶺病院への長期間入院して、肋骨を6本取り除く大手術を受け、1年近い入院生活を送ります。

しかし、この災いが平尾自身にとって、作曲家として大きく飛躍するきっかけとなったそうです。

あの療養期間が、私の作曲家としての活動の原点です。

人間、何が幸いするか分かりませんね。

しかし、病気に負けず、次の仕事のための努力を怠らなかった姿勢がまずすごいですね。

 

1970年代には、様々な作風の曲を作り、まさにヒットメーカーとして大活躍します。

作詞家の山口洋子とは、ゴールデン・コンビと呼ばれていました。

1971年 五木ひろし「よこはま・たそがれ」が大ヒット。

1972年 小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」で第3回日本歌謡大賞受賞。

1973年 五木ひろし「夜空」で第15回日本レコード大賞受賞。

 

平尾昌晃ミュージックスクール

1974年 「平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール=HMS)」を創立。

東京本校の他、札幌、所沢、茨城、名古屋、大阪、福岡、鹿児島校があり、歌手になりたい若者を直接指導し、デビューのためのバックアップを始めます。

出身者はまさにキラ星のごとく、有名歌手がずらりと並びます。

 

  • 狩人
  • 畑中葉子
  • 川島なお美
  • 石野真子
  • 松田聖子
  • 川崎麻世
  • 大沢逸美
  • 森口博子
  • 芳本美代子
  • 笹峰愛
  • 倖田來未
  • 後藤真希
  • 西田あい

 

など。

畑中葉子とデュオを組み、「カナダからの手紙」が大ヒット!

「Love letter from CANADA ~」の歌声は歌手としても健在であることを知らしめて、改めて平尾さんの才能に感嘆したものです。

平尾昌晃さんといえば、「カナダからの手紙」を思い浮かべる方も多いと思います。

また、平尾さんが日本でのデビューのきっかけを作ったアグネス・チャンとも、「香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)」でデュオを組みました。

1980年代初頭から宝塚歌劇団の舞台音楽も手掛ける。

オートレースファンで、川口オートレース場テーマソング『ぶっちぎりの青春』を作曲

 

人気テレビ番組の主題歌の作曲でも大活躍

「熱中時代」の「僕の先生はフィーバー」「やさしさ紙芝居」

「熱中時代-刑事編」の「カリフォルニア・コネクション」

時代劇の『必殺シリーズ』

アニメ「銀河鉄道999」

などどれも大ヒットしましたね。

 

作曲家以外の活動

司会

NHKの人気番組『レッツゴーヤング』

パーソナリティ

ラジオ番組『平尾昌晃の部屋』

俳優
『二階の他人』に出演

競走馬オーナー
中央競馬で3勝したスーパーミヨチャンなどを所有

受賞歴

2001年、モンブラン国際文化賞受賞。

2003年、紫綬褒章受章。

その他

2005年、歌手を目指す若い人、生徒のために自主レーベルのHMSレコードを立ち上げて優秀な生徒をCDデビューさせている。

 

結婚、離婚、奥様は?息子は?

平尾昌晃さんが、最初に結婚されたのが、1972年7月のこと。

お相手は、現役女子大生の一般女性・服部暁子さん。入籍時はなんと18歳でした。

平尾昌晃さんは34歳ですので、16歳年下で、今でいう歳の差婚ですね。

お子さんが生まれましたが、結婚から約3年後の1975年5月に小さな子供を抱いて、服部暁子さんは平尾さんの家から飛び出してしまいます。

原因は、「平尾ミュージックスクール」1期生として、歌手デビューしえ間もなかった小沢深雪さんと平尾さんとの不貞を疑ってのようです。

当時の小沢深雪さんは、なんと16歳

出典:i.ytimg.com

もしも不貞を働いていたことが事実ならば、それは未成年との不貞行為ですから大変なことですね。

しかし、平尾さんは真っ向から否定。

小沢さんももちろん否定。

しかし、週刊誌記者を引き連れて小沢さんを糾弾するという強硬策にでたこともあり、大きくイメージダウンした小沢さんは、レコード2枚出した後に、ひっそりと芸能界からの引退を余儀なくされます。

一方、平尾との離婚と慰謝料1億5千万円を求めて、家庭裁判所で争われ、泥沼の離婚裁判の末、1976年1月に離婚調停が成立しました。

慰謝料は1600万円。

長男が成人に達するまで養育費を毎月15万円払うことで決着しました。

離婚原因は、差し障りなく「性格の不一致」ということにされたそうです。

 

離婚後、小沢深雪さんと晴れて交際をすることができるようになり、1978年7月29日に再婚を発表します。

このとき、深雪さんは妊娠8か月

いわゆる「できちゃった婚」ですね。

小沢深雪さんはこのとき、19歳。

平尾さんは40歳で、21歳という歳の差婚ですね。

1978年10月 深雪さんは男の子を出産。

1981年3月 2人目の男の子とを出産。

しかし、平尾さんの仕事が忙しくなり、スレ違い生活が続いたこともあり、次第に二人の間には溝が出来てきます。

そして、ついに離婚。

1980年代半ばだそうです。

 

その後、深雪はニューヨークに渡り、再婚し、現地で日本料理店を開いて、幸せに暮らしているそうです。

 

また、前妻・服部暁子さんは、平尾さんと離婚後、1981年5月に、フジサンケイグループの鹿内信隆社長の長男・春雄氏と子連れ再婚をしました。

再婚同士の玉の輿婚!

さらに、翌年6月に男の子が生まれ、これから幸せの絶頂に!

ところが、男の子を出産したわずか2カ月後、くも膜下出血で急死してしまいます。

享年29、若すぎる他界でした。

 

平尾勇気(ひらおゆうき)

平尾昌晃さんには、1人目の奥さんとの間に1人、小沢深雪さんとの間に2人。

子供は合計3人のお子さんがいらっしゃいました。

そして、3番目の息子さんが、2004年に歌手デビューした

平尾勇気(ひらおゆうき)さん。

出典:ameba.jp
生年月日 1981年3月10日(2017年7月現在、36歳)
出身地 東京都港区西麻布
学歴 湘洋中学校卒業
レーベル ポニーキャニオン(2004年)

前述した通り、非常に複雑な家庭事情のある中で、家族に対することがブログに記載されていました。

まず、お母さんの小沢深雪さん。

これは、ライブにお母さんがニューヨークから来てくれたときのツーショット。

出典:ameba.jp

母親は元歌手、必殺仕事人主題歌、さすらいの歌、松竹梅などを歌っていた小沢深雪です!
久しぶりの再会、嬉しかったです?
明日は孫を連れて母親と一日過ごしたいと思います!
僕の娘に会うのも初めてだし、深雪もおばあちゃん(笑)
どんな一日になるか楽しみです!

 

兄弟は、実の兄と、異母兄。

実の兄とは仲がいいのはともかく、昌晃さんの最初の奥さんの息子さんとも交流があり、お互いにプレゼントを渡しあう仲のようです。

素晴らしいですね。

 

平尾勇気さんの、奥さんとお子さん

奥さんとお子さんについて、ブログで次のように発表しています。

今日の新聞などでも取り上げて頂きましたがこのたび名古屋在住の一般女性の方との間に子供を授かりました。

現在彼女は妊娠6ヶ月で、入籍は12月を予定しています。

今回子供を産む事について、又、結婚について色々考えましたがやはり父、平尾昌晃も73歳なので、元気で健康なうちに初孫を抱かせたい

その想いが今回の決断になります。

これから家族を持つ事で今以上責任感をもって、仕事に飛躍していけたらと思います!

そして良い家庭を築き上げたいと思っています。

これからも皆様の力を借りながら大きな人間成長できるように頑張るので暖かい応援、よろしくお願い致します。

平尾勇気オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/yuki-hirao/archive1-201111.html

出典:ameba.jp

 

2012年4月7日 長女・流音(るか)ちゃんが誕生。

「音楽のようにどんなときも人に感動と勇気を与えられるような子供になって欲しい」と命名したそうです。

2014年2月8日 長男の勇人(はやと)くんが誕生。

父の出生名が勇、自分の勇気から、「勇」を使って命名。

出典:ameba.jp

左から、勇気さん・実兄・昌晃さん
流音ちゃん・勇人くん

 

見た目がチャラいと評判ですが、ハートのある男性と見えました。

父の死を受けとめてこれからの精進を期待したいです。

 

改めて、平尾昌晃さんのご冥福をお祈りいたします。

 

芸能人からの惜しむ声

五木ひろし

ただ驚いて、「まさか」という思いです。

平尾昌晃先生と、(作詞家の)山口洋子先生のお二人が、五木ひろしを世に送り出してくださった。

僕が今日あるのも「よこはま・たそがれ」をはじめ、いい曲をたくさん作っていただいたおかげで、本当に大恩人です。

恩返しだと思って、歌い続けていきます。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

ミッキー・カーチスさん(78)
平尾さんらと「ロカビリー三人男」として一大ブームを築いた

けいちゃん(故山下敬二郎氏)、まーちゃん(故平尾昌晃氏)と逝ってしまって、残されちゃったね。本当に寂しいよ…。

昔から才能のあるやつで、俺とは違う素晴らしい才能を持っているやつだった。ご冥福をお祈りします。

 

 

 

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